「カタールW杯日本代表守護神」
GKは出場できる選手が1人だけ。
どのポジションよりもシビアなポジション争いがあります。
そんなポジションで、日本代表の正GKとしてカタールW杯に出場したのが、権田修一選手。
過去には病に悩まされる時期もありましたが、いまや日本1有名なGK。
今回は、権田修一のプレースタイルとこれまでの経歴についてご紹介します。
「もっとサッカーが楽しくなる」をテーマに、ブログを書いています。
【10分以内】で、気軽に読める記事がたくさんあります。
初心者の方も、サッカー通の方も、ぜひ楽しく読んでください。
権田修一ってどんな選手?
- 名前:権田修一(ごんだ しゅういち)
- 生年月日:1989年3月3日
- 出身地:東京都世田谷区
- 身長:187cm
- 体重:83kg
- 所属クラブ:清水エスパルス
- 背番号:57番
- 利き足:右
権田修一の両親、弟はバスケットボール選手
Embed from Getty Images権田選手の家庭は、バスケット一家。
- お父さん
実業団でプレー、慶應大学の体育会バスケットボール部の監督歴あり - 弟
Bリーグでプレー、慶應大学のコーチ
早慶バスケットOB戦に、権田選手が出場したことも。
お嫁さんは元読者モデルの篠田裕美
権田選手の奥様は、元読者モデルの篠田裕美さん(権田裕美さん)です。
約25,000人のフォロワーを抱えるインスタグラマー。
ヨガについて、料理についての情報を発信しています。※料理用アカウントも開設しています。
やべっちFCに出演した際に、「権田の奥さんかわいい!」と大きな話題になりました。
権田の18秒
Embed from Getty ImagesカタールW杯で優勝候補ドイツを破った日本代表。
一方的に攻め込まれる中、日本代表イレブンが体を張って守り、少ないチャンスをものにして”逆転勝利”を掴み取りました。
特にピンチだったのは、”権田の18秒”と呼ばれるシーン。
4連続でシュートを浴びながらも、権田選手がスーパーセーブ。
”権田の18秒”がなければ、日本の勝利はなかったでしょう。
権田修一の着用スパイク
メーカー:MIZUNO(ミズノ)
権田選手は”モレリアⅡ”を着用しています。
軽く・柔軟性・素足感覚をバランス良く備えた天然皮革のスパイクです。
モレリア・モレリアNEOシリーズは、ユニオンスポーツにて購入できます。
権田修一のプレースタイル
Embed from Getty Images権田選手は弱点が少なく、”総合力の高いGK”です。
守備においては味方に安心感を与え、GKながらも攻撃の起点になることもあります。
中でも、以下の3点が権田選手の強みです。
- シュートストップ
- 足元の技術
- キャプテンシー
シュートストップ
シュートを止める技術はGKに必須の能力。
驚異的な反射神経を備えており、至近距離からのシュートでも神がかったセービングを見せます。
また、ボールを弾く場所が良く、こぼれ球をつめられての失点が少ないです。
足元の技術
足元の技術が高く、”GKからつなぐ現代サッカー”に適応できる選手です。
権田選手を指導した浅野寛文さん曰く、「足元がうまくて、とてもキーパーには見えない」少年でした。(引用:日刊ゲンダイDIGITAL)
キャプテンシー
権田選手は清水エスパルスでキャプテンを務めています。
キャプテンシーが非常に高く、選手同士だけでなく、サポーターとの揉め事にもいち早く駆けつけます。
正義感が強いがゆえに、時に相手選手やサポーターもぶつかることも。
権田修一のこれまでの経歴
Embed from Getty Images- さぎぬまSC(世田谷区立弦巻小学校)
- FC東京U-15(世田谷区立弦巻中学校)
- FC東京U-18(国士舘高等学校)
- FC東京
- SVホルン(レンタル・オーストリア3部)
- サガン鳥栖
- ポルティモネンセ(ポルトガル)
- 清水エスパルス
さぎぬまSC
小学生時代は、さぎぬまSCでプレーしています。
小学6年生にして176cmという大きさで、神奈川県選抜でもプレーをしています。
さぎぬまSCのOB
・板倉滉(シャルケ)
・三笘薫(ブライトン)
・田中碧(デュッセルドルフ)
FC東京下部組織
中学時代
中学時代から、FC東京の下部組織でプレーしています。
マリノス、フロンターレのセレクションに合格し、ベルマーレからもオファーがありながらもFC東京U-15でプレーする選択をしています。
2003年にはクラブユースで全国優勝、U-14日本代表に選出されるなど、エリート街道を突き進みます。
高校時代
FC東京U-18に昇格し、高校2年時から2種登録選手としてプロ選手と共にプレーしています。
さらには高校生にしてプロ契約を結び、「FC東京初の平成生まれの選手」となります。
権田選手の1年時には先輩に染谷悠太選手(現・柏レイソル)が在籍。
高校3年時には後輩に大竹洋平選手(現・Vファーレン長崎)、三田啓貴選手(現・FC東京)が在籍しています。
FC東京
Embed from Getty Images2007年にFC東京に昇格します。
3年目からレギュラーの座を獲得。
以降、2016年までFC東京の正GKを務め、アテネ五輪やブラジルW杯メンバーにも選出。
J2降格はあったものの、プロサッカー選手として順調に成長を遂げていました。
しかし、2016年シーズン途中に”オーバートレーニング症候群”を発症。
一時はプレーもできない程の状況に陥ります。
SVホルン(オーストリア3部)
Embed from Getty Images2016年冬に、SVホルンにレンタル移籍します。
当時、SVホルンのオーナーは本田圭佑選手。
病に苦しむ権田選手の環境を変えるため。
そして、「海外挑戦の夢」を叶えるために本田選手直々にオファーしたと噂されています。
保有権はFC東京にあったものの、継続してヨーロッパでプレーするために双方合意で契約解除します。
サガン鳥栖
Embed from Getty Images2017年2月に、サガン鳥栖に加入します。
鳥栖の守護神として2年間でリーグ戦67試合に出場。
ただ、契約解除しながらも、同じJ1クラブへの移籍となったことでFC東京サポーターの怒りを買うことに。
この年にFC東京は林彰洋選手をサガン鳥栖から獲得していたこともあり、0円での移籍は大きな話題になりました。
ポルティモネンセ(ポルトガル)
Embed from Getty Images2018年シーズン終了後、ポルティモネンセに移籍します。
2度目の海外移籍でもレギュラーを獲得するものの、サムエル選手(現・ポルト)にレギュラーの座を奪われます。
ポルティモネンセ時代のチームメイト
・安西幸輝選手(現・鹿島アントラーズ)
・西村拓真(現・横浜F・マリノス)
清水エスパルス
Embed from Getty Images2020年12月に、清水エスパルスに加入します。
J2降格の憂き目に遭うも、神がかったセービングは健在。
2023年は、”1年でのJ1復帰”をめざします。
日本代表
Embed from Getty Images2010年に日本代表に初招集。
定位置確保には至らないものの、2014年ブラジルW杯メンバーにも選出されます。
そして、森保監督が就任した2018年以降は日本代表の守護神となり、カタールW杯でのベスト16入りに貢献しました。
また、2012年のロンドン五輪では正GKとしてベスト4を経験しています。
まとめ
日本のゴールマウスを守った権田選手。
そのキャリアは順風満帆ではなく、たくさんの挑戦と挫折がありました。
真面目な性格の権田選手は、他の選手以上に完璧を求めてしまうはず。
だからこそ、33歳となった今でも成長を続けているのでしょう。
2022年カタールW杯では、”死の組”を突破した日本代表。
たくさんのシュートを浴びながらも、複数失点をした試合はありませんでした。
GKは選手寿命の長いポジションです。
これからも、まだまだ権田選手のビッグセーブが見れるはずです。
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