「止めて・蹴る」
サッカーの基本にして、最も大切な技術です。
現在の日本代表で、”止めて・蹴る”の達人といえば田中碧選手です。
川崎フロンターレ、日本代表の中盤で輝きを放ち、現在はドイツでプレーする田中選手。
その注目度はサッカーのみでなく、プラーベートでも話題を集めました。
今回は、田中碧選手のプレースタイルと経歴についてご紹介します。
田中碧について
Embed from Getty Images- 名前:田中碧(たなか あお)
- 生年月日:1998年9月10日
- 出身地:神奈川県川崎市
- 所属クラブ:デュッセルドルフ(ドイツ2部)
- ポジション:MF
- 背番号:4番(日本代表では17番)
- 身長:180cm
- 体重:74kg
田中碧の彼女は”元ハロプロの鈴木愛理”
田中碧選手の恋人は、女優・モデルの鈴木愛理さんです。
報道が出て、田中選手が交際を認めたことでも話題になりました。
鈴木愛理さんのお父さん(プロゴルファーの鈴木亨さん)も公認の仲で、美男美女カップルのゴールインも近いかもしれません。
ちなみに、鈴木愛理さんはハロプロの°C-ute(キュート)のメンバーとしてアイドル活動を行なっていました。
9月10日はC-ute(キュート)の日でもあり、田中碧選手の誕生日でもあります。
同姓同名のアナウンサー!?
テレビ神奈川に”田中碧”という名前のアナウンサーが在籍しているのをご存知ですか?
実は、”たなか あおい”さん という女性アナウンサーで、田中碧選手と全く同じ漢字です。
2020年には、同じ漢字の2人が共演を果たしています。
川崎のユースから日本代表が続出
Embed from Getty Imagesプロサッカー選手になれる人はごくわずかです。
Jリーグの下部組織であっても、年に2~3人のプロ選手が輩出できれば良い方です。
そんな中、田中選手と同世代の川崎フロンターレユースから、日本代表選手が4人も輩出されています。
小学生時代、久保建英選手も川崎フロンターレの下部組織に在籍していました。
スペイン戦での逆転ゴール
Embed from Getty ImagesカタールW杯・スペイン戦でのゴール。
このゴールがなければ、日本は”死の組”を突破できず、GL(グループリーグ)で敗退していました。
一見すると、ただ押し込んだだけに見えるゴールです。
ただ、三苫選手が折り返すことを予測し、”あの場所にいたこと”に価値があります。
田中碧選手が日本の救世主となり、世界中を熱狂させました。
田中碧の着用スパイク
契約メーカー:MIZUNO(ミズノ)
田中選手の契約メーカーはミズノ。
”モレリアⅡ”を着用しています。
軽く・柔軟性・素足感覚をバランス良く備えた天然皮革のスパイクです。
モレリア・モレリアNEOシリーズは、ユニオンスポーツにて購入できます。
田中碧のプレースタイル
Embed from Getty Images24歳にして日本国内の主要タイトルを全て獲得し、W杯アジア最終予選では7試合に出場した田中選手。
そんな田中碧選手の大きな強みは、以下の3つです。
- 基礎技術の高さ
- 中盤でのゲームメイク
- 強烈なミドルシュート
基礎技術の高さ
田中碧選手は基礎技術が非常に高いです。
サッカーで最も大切な「止めて・蹴る」が正確で、サッカー選手を目指す少年少女はぜひ注目すべき選手です。
難しいパスを簡単にトラップし、味方の足元に正確なパスを供給します。
中盤でのゲームメイク
チームの中盤を司るボランチやインサイドハーフでプレーする田中碧選手。
「止める・蹴る」の技術や広い視野を武器に、チームの攻撃にリズムをもたらします。
”縦に仕掛けるべきか・時間をかけるべきか”の判断も正確で、攻撃のスイッチになります。
強烈なミドルシュート
一見すると細身な田中碧選手ですが、とても強烈なシュートを打つことができます。
U-22日本代表の親善試合にて、あのブラジルを相手に強烈なミドルシュートを2発も決めています。
ゴールから遠い位置からでも決め切る力は、ワールドクラスの戦いでは非常に重要です。
ドイツに渡った後は、肉体改造にも励んでいます。
田中碧のこれまでの経歴
- さぎぬまSC
- 川崎フロンターレU-12(川崎市立鷺沼小学校)
- 川崎フロンターレU-15(川崎市立有馬中学校)
- 川崎フロンターレU-18(神奈川県立新城高校)
- 川崎フロンターレ
- デュッセルドルフ(ドイツ2部)
小学生時代
田中碧選手はさぎぬまSCでサッカーを始めます。
この頃はFWでプレーし、東京ヴェルディのスクールに通っていたという意外な過去も。
小学3年生の時にセレクションに受かり、川崎フロンターレの下部組織に入団します。
6年生時には全国大会での優勝、世界大会にも参加しています。
三笘薫選手は小学校・中学校の先輩で、所属クラブも同じです。
中学生時代
中学生時代は、川崎フロンターレU-15でプレーしています。
「サッカーがトーンダウンしていた」と本人が語るように、サッカー熱が冷めていたようです。(引用:川崎フロンターレ公式HPより)
落ちていたサッカーへの情熱は、先輩である三苫選手らがプレーするU-18の練習に参加したことで再度燃え上がります。
練習には毎日参加し、決してグレていたわけではありません。
友達と遊ぶことが純粋に楽しかったようです。
高校時代
高校時代は、川崎フロンターレU-18でプレーしています。
世代別日本代表や国体への出場など、全国の選手へと成長を遂げます。
また、勉強面でも学年でトップ10に入っています。
田中碧選手の通っていた新城高校は、慶應大学や早稲田大学などの有名大学への進学者も多数。
高校時代の田中碧選手は、まさに”文武両道”です。
高校3年時には、2種登録としてトップチームにも帯同しています。
川崎フロンターレ
Embed from Getty Images2017年に川崎フロンターレのトップチームに昇格し、4年半プレーします。
2017年・2018年にチームはJリーグを連覇するものの、田中碧選手自身は出場機会をほとんど得られず。
プロ3年目となる2019年から出場機会を増やし、2020年にはリーグ優勝。
中盤の主力として、王者川崎のパスワークの中心となりました。
田中碧と守田英正
日本代表選手が大勢所属している川崎フロンターレ。
当然ポジション争いは熾烈で、田中碧選手は守田英正選手とポジションを争っていた時期があります。
「仲が良かったのに、気まずくなってしまった。」
勝負の世界の難しさを感じられる投稿です。
そして今、2人は共に海外でプレーし、日本代表では同じピッチに立っています。
【守田英正選手】について詳しく。
デュッセルドルフ
Embed from Getty Images2021年夏、田中碧選手はデュッセルドルフ(ドイツ2部)に移籍します。
2部とはいえ、レベルの高いドイツですぐに定位置を獲得。
現在もボランチやトップ下で、毎試合フル出場しています。
日本代表
Embed from Getty Images世代別日本代表としてプレーしてきた田中碧選手。
2021年の東京五輪に出場し、ベスト4を経験しています。
A代表への初招集は2019年のE-1選手権。
そして、日本が苦しんだカタールW杯アジア最終予選で出場機会を増やします。
最終予選にて、田中碧選手が出場した試合は6勝1分け。
日本代表の怒涛の6連勝は、実は田中碧選手が出場した試合から始まっています。
まとめ
日本代表がW杯出場を決めた時、田中碧選手はポジションを掴んでいました。
W杯にも、当然スタメンで出場すると思っていたはずです。
ですが、現在は定位置を失いつつあります。
その状況は田中選手本人が一番認識しています。
中村憲剛さんが”努力の天才”と評する田中碧選手は、歩みを止めません。
カタールW杯、そしてその先を見据えて、より大きな存在になっていくはずです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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