「笑顔の守護神」
いつも笑顔。
ピッチに入れば、”鬼神”のごとくシュートをストップ。
現在37歳。
30代後半に突入し、まさかの2回目の全盛期が到来。
「JリーグNo.1GK」との呼び声も高い、ベテランGKです。
今回は、西川周作のプレースタイルと経歴をご紹介します。
「もっとサッカーが楽しくなる」をテーマに、ブログを書いています。
【10分以内】で、気軽に読める記事がたくさんあります。
初心者の方も、サッカー通の方も、ぜひ楽しく読んでください。
西川周作ってどんな選手?
- 名前:西川周作
- 生年月日:1986年6月18日
- 出身地:大分県宇佐市
- 所属チーム:浦和レッズ
- ポジション:GK
- 背番号:1番
- 身長:183cm
- 体重:81kg
- 利き足:左足
日本代表歴
Embed from Getty Images- A代表:31試合(2014年ブラジルW杯メンバー)
- 世代別:2005年ワールドユース
2008年北京五輪
2009年にA代表入りし、約10年間にわたって日本代表の常連に。
出場こそありませんでしたが、2014年ブラジルW杯メンバーに選出されています。
世代別代表にはU-18から選出。
2008年北京五輪には、正GKとして出場しています。
5度のベストイレブン
Embed from Getty Images西川選手は、過去に5年連続でベストイレブンを受賞。
- 2012年(広島)
- 2013年(広島)
- 2014年(浦和)
- 2015年(浦和)
- 2016年(浦和)
Jリーグ通算出場数は5位で、600試合出場も目前です。
低弾道パントキック
Embed from Getty Imagesいまでこそ当たり前になった”低弾道パントキック”。
速くて鋭いボールが、味方の足元にピタリ。
西川選手がパントキックをする度に、どよめくスタジアム。
「低弾道キックは西川周作が広めた」と言っても過言ではありません。
元々は右利きで、練習を重ねて”左利き”に変わった選手です。
西川Airを愛用する西川
西川選手の眠りを支えるのは、”西川Air”。
スポーツ選手に大人気で、西川選手はマットレス・枕ともに西川Air。
たしかに寝心地良いですよね・・・!
鈴木彩艶との正GK争い
2021年以降、浦和レッズの”守護神争い”は日本1ハイレベル。
「西川周作vs鈴木彩艶」
パリ五輪世代の守護神で、ワールドクラスのポテンシャルを持つ鈴木彩艶選手。
「さすがに今年はザイオンが正GKかな?」と思えば、周囲を黙らせる”驚愕のハイパフォーマンス”。
結果的に、西川選手は”守護神の座”を死守。
ライバルながらも、互いに尊敬し、高め合った仲間です。
西川周作の着用スパイク
メーカー:ナイキ
西川選手は、ナイキの”ティエンポ”を着用しています。
ティエンポシリーズは、革の柔らかさとクッション性が特徴のスパイク。
ナイキの中では、足幅が広めなスパイクです。
※子供向け、フットサル用のシューズもあります。
西川周作のプレースタイル
Embed from Getty Images183cmは、GKとしては小柄な部類。
それでも約20年に渡ってJリーグトップの活躍を見せるのは、”基礎技術”がしっかりしているから。
- 予測
- 反応の速さ
- 身体の向き
ピッチ上の様々なことに気を配り、ビッグセーブを連発。
低弾道パントキックで、一気にカウンターをスタート。
攻守に躍動する守護神で、その手で勝利を引き寄せます。
西川周作の経歴
- 四日市南SSC
- 宇佐FCジュニアユース
- 大分トリニータU-18
- 大分トリニータ
- サンフレッチェ広島
- 浦和レッズ
小学生時代
小学生時代は四日市南SSCでプレーしています。
小学3年生の時に”KING・カズ”に憧れてサッカーをスタート。
しかしポジションは右SB(サイドバック)で、4年生からGKに。
「自称・動けるデブ」で、県大会では1回戦以外は”すべてPK勝ち”で、大分県を制しています。(参照:サッカーダイジェスト)
四日市南SSC出身の選手
・西川周作(現・浦和レッズ)
・松原健(現・横浜F.マリノス)
・岩田智輝(現・横浜F.マリノス)
中学生時代
中学生時代は、宇佐FCジュニアユースでプレーしています。
中1の時に、大分トリニータユースに”0-8”で敗北。
チームメイト皆がサッカーが大好きで、休みの日もサッカーの練習。
中学3年時には、トリニータユースと引き分ける程の実力のチームになります。
西川選手個人では、”GKとフィールドを兼務”。
- 前半:GKで出場
- 後半:MFとして出場
「背番号1番のフィールドユニフォーム」を着て、ピッチを駆け回っています。(参照:FOOTBALL CHANNEL)
高校生時代
高校生時代は、大分トリニータU-18でプレーしています。
スカウトを受け、親元を離れてプレー。
GKとしての能力はもちろん、キック精度も全国クラス。
「FKも蹴るGK」として、サッカー番組でも取り上げられたことがあります。
大分トリニータ
Embed from Getty Images2005年に大分トリニータに昇格します。
ワールドユースから帰還した後、1年目で正GKに定着。
- タイトル獲得(ナビスコ杯)
- Jリーグ優勝争い
- 日本代表選出
- 北京五輪出場
- J2降格
- チームの財政難
いろいろ起きた5年間。
チームは財政難に陥り、”移籍金を残すため”に移籍を決断します。
大分での成績
・2005年:21試合0ゴール
・2006年:30試合0ゴール
・2007年:11試合0ゴール
・2008年:22試合0ゴール(ナビスコ杯優勝)
・2009年:34試合0ゴール(J2降格)
大分時代のチームメイト
・家長昭博
・森重真人
・清武弘嗣
・梅崎司
・高松大樹
・森島康仁
・金崎夢生 など
サンフレッチェ広島
Embed from Getty Images2010年にサンフレッチェ広島に移籍します。
4年間の在籍で、欠場したのは1試合のみ。(Jリーグ)
森保一監督就任後には、Jリーグ2連覇。
個人でも、2年連続ベスト11に輝いています。
広島での成績
・2010年:34試合0ゴール
・2011年:34試合0ゴール
・2012年:34試合0ゴール(Jリーグ優勝、ベスト11)
・2013年:34試合0ゴール(Jリーグ優勝、ベスト11)
サンフレッチェ広島時代のチームメイト
・佐藤寿人
・槙野智章
・柏木陽介
・森脇良太
・塩谷司
・青山敏弘
・千葉和彦
・川辺駿 など
浦和レッズ
Embed from Getty Images2014年に浦和レッズに移籍します。
広島時代から数え、5年連続で”Jリーグベスト11”に選出。
時にサポーターと衝突しつつも、2度のアジア王者に。
「浦和の歴代No.1GK」であることは間違いありません。
浦和での成績
・2014年:34試合0ゴール(W杯メンバー選出、ベスト11)
・2015年:34試合0ゴール(ベスト11)
・2016年:34試合0ゴール(ルヴァン杯優勝、ベスト11)
・2017年:34試合0ゴール(ACL優勝)
・2018年:34試合0ゴール(天皇杯優勝)
・2019年:33試合0ゴール(ACL準優勝)
・2020年:34試合0ゴール
・2021年:32試合0ゴール(天皇杯優勝)
・2022年:32試合0ゴール(ACL優勝)
まとめ
- 驚異的なセービング
- 惚れ惚れするようなパントキック
Jリーグで無失点に抑えたのは「180試合以上」。
約20年間のプロ生活で、幾度となく”勝利”をもたらしてきたGKです。
今後も、多くの記録を更新していくことは、想像に難しくありません。
コメント