日本代表でプレーする大半の選手は、日本のトップリーグであるJ1で活躍した経験があります。
J1でプレーすることで、日本代表入り、海外挑戦へとつながる傾向があります。
そんな中、現在の森保JAPANには、J1での出場数がわずか3試合という選手がいます。
その選手の名前は”伊藤洋輝”。
伊藤選手はJリーグで60試合に出場していますが、その大半はJ2での試合です。
J2からドイツに渡り、日本代表入りを果たすという驚異的なステップアップ。
今回は、伊藤洋輝選手のプレースタイルと経歴についてご紹介します。

伊藤洋輝について
- 名前:伊藤洋輝(いとう ひろき)
- 生年月日:1999年5月12日
- 出身地:静岡県浜松市
- 所属クラブ:シュツットガルト(ドイツ)
- ポジション:DF/MF
- 背番号:21番(日本代表では26番など)
- 身長 :188cm
- 体重:81kg
J2からドイツへ
Embed from Getty Images2021年夏、伊藤選手は当時J2のジュビロ磐田からシュツットガルト(ドイツ)に加入。
近年はベルギーやオランダなどの中堅国を経由し、強豪国へとステップアップする日本人選手が多いです。
その中で、伊藤選手は直接ドイツのチームへと移籍しています。
伊藤選手がブンデスリーガ(ドイツ)でプレーしているのは、実はすごくラッキーなんです。
というのも、伊藤選手はシュツットガルトのセカンドチームでプレーする予定でした。
「しばらくはドイツ4部でプレーし、成長したらトップチームでプレー」
当初の予定ではそのはずでしたが、トップチームに怪我人が出ます。
そこで代役として練習参加した伊藤選手の活躍が監督の目に留まり、加入後すぐにトップチームでプレーすることになりました。
幸運と、チャンスをものにした伊藤選手の勝負強さが光りました。
シュツットガルトのセカンドチームでは、尚志高校から加入したチェイス・アンリ選手がプレーしています。
16歳から世代別日本代表でプレー
Embed from Getty Images伊藤選手は16歳の頃から世代別日本代表としてプレーしていました。
惜しくも五輪への出場は叶いませんでしたが、東京五輪世代の有望株として注目される存在でした。
伊藤の右目の眉毛が白い?
Embed from Getty Images試合中の伊藤選手を見て「目の上に絆創膏貼ってるのかな?」と思う方も多いはずです。
伊藤選手は”異常性白斑”という病気で、右目の上が白くなってしまっているようです。
痛みや痒みはないものの、皮膚の色が抜けてしまうのが特徴で、人口の1%程の人に見られるようです。(引用:医療法人たまき皮フ化HPより)
痛みもなく、他人に感染することもないようですが、ご本人も悩む時期があったのではないかと思います。
ちなみに、故マイケル・ジャクソンも”異常性白斑”に悩まされていました。
伊藤洋輝の着用スパイク
Embed from Getty Imagesメーカー:アディダス
伊藤選手は、アディダスの”コパ”を着用しています。
コパシリーズは、革が柔らかく、ボールタッチしやすい天然皮革のスパイクです。
※子供向け、フットサル用も展開しています。
伊藤選手は、2023年2月時点まではナイキのシューズを着用していました。
伊藤洋輝のプレースタイル
Embed from Getty Imagesドイツでチャンスを掴み、現在は主力として活躍する伊藤選手。
そんな伊藤選手の強みは、以下の3つです。
- 左足のキック精度
- 地上戦でも空中戦でも強い
- 複数ポジションをこなすユーティリティ性
左足のキック精度
伊藤選手は、アマチュア時代から左足のキック精度の高さを評価されてきました。
前線へのロングフィードが魅力で、1本のキックでチャンスを作り出すことができます。
ジュビロ磐田時代には、キックの名手・中村俊輔さんからキックの指導を受けていたようです。
地上戦でも空中戦でも強い
188cmという高身長。
セットプレーでは攻守に渡って頼れる存在で、ドイツでは「空中戦マスター」と言われることも。
さらに、ドイツは1vs1の勝率を重視する国です。
ドイツでプレーする伊藤選手は地上での球際の強さも増しています。
複数ポジションをこなすユーティリティ性
伊藤選手は元々ボランチとしてプレーしています。
プロ入り後、CB(センターバック)やSB(サイドバック)も任されるようになり、プレーの幅が広がりました。
守備的なポジションであればどこでもプレーできることで、緊急時にもチームを救うことができます。
伊藤洋輝のこれまでの経歴
- 浜松蒲サッカースポーツ少年団(浜松市立蒲小学校)
- ジュビロ磐田U-15(浜松市立丸塚中学校)
- ジュビロ磐田U-18(磐田東高校→第一学院高校)
- ジュビロ磐田
- 名古屋グランパス(レンタル)
- ジュビロ磐田
- シュツットガルト(ドイツ)
小学生時代
小学生時代、伊藤選手は浜松蒲サッカースポーツ少年団でプレーしています。
幼い頃からサッカーの技術が秀でており、小学4年生の頃にはブラジルの名門・サントスの下部組織にも合格。
また、サッカーと並行してフットサルもプレーしていました。
日本で有名なサントス出身の選手
・ネイマール(現・パリサンジェルマン)
・三浦和良(現・鈴鹿ポイントゲッターズ)
・前園真聖(現・タレント)
・ネルシーニョ(現・柏レイソル監督)
中学生時代
中学生時代、伊藤選手はジュビロ磐田U-15でプレーしています。
中学時代は背番号を10番を背負い、チームを全国ベスト16に導きました。
身長はすでに180cmを超えており、大型ボランチとして有名な存在でした。
高校生時代
高校生になるタイミングで、ジュビロ磐田U-18に昇格します。
この頃から世代別日本代表に選出されるようになり、全国的にも有名な選手に。
高校3年時には二種登録としてトップチームに帯同し、そのタイミングで通信制の高校に進学しています。
ジュビロ磐田
Embed from Getty Images2018年にジュビロ磐田とプロ契約を結びます。
世代別日本代表には継続して召集されるものの、クラブでは”プロの壁”に直面。
1年目はカップ戦中心の出場で、J1リーグの出場は1試合に留まります。
翌年は、名古屋グランパスへのレンタル移籍を決断します。
名古屋グランパス
Embed from Getty Images2019年に1年間名古屋グランパスでプレーしています。
プロ2年目となるシーズンも出場機会はなかなか得られず、カップ戦要員としての立ち位置となります。
ジュビロ磐田
Embed from Getty Images2020年にジュビロ磐田に復帰。
試合数の多いJ2で主力として活躍し、1年半で57試合に出場します。
この頃からDFとしてプレーする機会も増え、持ち前のロングフィードで攻撃の起点に。
その活躍ぶりと将来性を買われ、ドイツへの移籍につながります。
シュツットガルト
Embed from Getty Images2021年の夏にシュツットガルトに移籍します。
当初はセカンドチームでプレーする予定が、チーム事情もありシーズン序盤からトップチームでプレー。
”J2からブンデスリーガ”という驚きのステップアップを披露しました。
リーグ最終戦では、遠藤航選手の劇的ゴールをアシスト。
チームの1部リーグ残留に貢献しました。
伊藤選手をスカウトしたのはミスリンタートさん。
この方は、香川真司選手をドイツにスカウトした人です。
日本代表
Embed from Getty Images伊藤選手のドイツでの活躍が認められ、2022年の6月に日本代表に初招集されています。
カタールW杯でも出場を果たし、ベスト16を経験しました。
年齢も23歳と若く、今後の日本代表を担う存在でもあります。
まとめ
初招集から半年たらず。
「伊藤選手はドイツで活躍してる背の高い選手。」
このくらいの認識の人も多いのではないでしょうか。
この記事を書く私自身も、ドイツに渡ってからのことしか知らず、J2時代は”名前と顔がギリギリ一致する”くらいの印象でした。
そんな選手が日本を代表して、世界と戦う。
なんとも夢のある話です。
これから間違いなくビッグな選手になる伊藤選手。
彼の左足には要注目です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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