「チームを救う197cmのGK」
2022年9月に行われたドイツ遠征のエクアドル戦。
南米の強豪相手にPKを与え、多くの人々が日本代表の敗戦を覚悟しました。
そんな窮地を救ったのは、これまで控えに甘んじていたシュミット・ダニエル選手。
Embed from Getty Imagesプレミアリーグでのプレー経験もあるエネル・バレンシアのキックを完璧に読み、PKをストップ。
日本代表を救い、チームを無失点での引き分けに導きました。
今回は、シュミットダニエル選手のこれまでの経歴についてご紹介します。
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初心者の方も、サッカー通の方も、ぜひ楽しく読んでください。
シュミット・ダニエルってどんな選手?
- 本名:矢吹・ダニエル・勇二
- 生年月日:1992年2月3日
- 出身地:アメリカ イリノイ州
- 所属クラブ:シント=トロイデン(ベルギー)
- ポジション:GK
- 利き足:右足
- 背番号:21番(日本代表では23番)
- 身長:197cm
- 体重:88kg
中学時代はバレー部に所属
Embed from Getty Imagesシュミット選手は、中学時代にバレーボール部に所属していました。
といっても、3年間ずっと所属していたというわけではありません。
サッカー部から転部した理由は、
「体育の授業でサッカー素人にボールを奪われたから」。
バレー部を選んだ理由は、「走らなそうだから」。(引用:ゲキサカ)
ちなみに、転部から数ヶ月後、シュミット選手はサッカー部に復帰します。
シュミット・ダニエルは英語もペラペラ
Embed from Getty Imagesシュミット選手は現在ベルギーでプレーしています。
ベルギーでは複数の言語が使われています。
- オランダ語
- フランス語
- ドイツ語
ベルギー国内の地域によって、どの言語が使われるのかは異なります。
それに加え、多くの方が英語を話せるようです。
それもあって、シュミット選手はチームメイトと英語で会話をしています。
シュミット選手は2歳の頃から仙台で暮らしていましたが、出身はアメリカ。
お父様もアメリカ人なので、幼少期から英語に触れる機会は多かったのかもしれません。
大学1年生から川崎フロンターレの特別指定選手に
Embed from Getty Imagesシュミット選手は、2010年の中央大学1年生の頃からプロの活動に帯同。
特別指定選手として川崎フロンターレでプレーしていました。
出場こそありませんでしたが、3年間という長い期間の特別指定は非常に珍しいこと。
これだけ聞くと、「シュミット選手は大学1年生の頃から大学のサッカー部でレギュラーだった」と思うはず。
しかし、中央大学では1学年先輩の岡西宏祐選手(現・藤枝MYFC)がスタメンとしてプレー。
シュミット選手は控えのGKでした。
それにも関わらず、シュミット選手の才能を見抜いていた川崎フロント。
選手を見る目は”流石”の一言です。
中央大学の法学部を卒業
Embed from Getty Imagesシュミット選手は中央大学の法学部を卒業しています。
中央大学がMARCHのひとつで、優秀な大学として知られています。
特に法学部は入学難易度が高く、弁護士を輩出数が多いことでも有名です。
シュミット・ダニエルの着用スパイク
メーカー:プーマ
シュミット選手は、プーマの”フューチャー”を着用しています。
フィット感に優れ、一瞬のクイックネスに優れたスパイクです。
※子供向け、フットサル向けのモデルも販売しています。
シュミット・ダニエルのプレースタイル
Embed from Getty Images「世界基準のGK」
日本サッカーが世界トップクラスの国に最も差をつけられているのは、”GKの質”と言われています。
そんな中、シュミット選手は”世界基準のGK”に最も近いです。
197cmの長身
GKにとって、身長の高さは大きな武器になります。
シュミット選手は2m近い身長で、手足も長いです。
その体格を生かし、他の選手なら触れないボールに触ることができます。
身長だけが全てではありませんが、空中戦でも強さを発揮することは間違いありません。
ビルドアップの上手さ
シュミット選手はビルドアップが上手く、後ろからつなぐ”現代サッカー”にマッチします。
中学生まではMFとしてプレーしていたこともあり、足元の技術が高いです。
その技術には、辛口コメントも多い鎌田大地選手も絶賛しています。
ビルドアップとは
守備的な選手が、攻撃の組み立てをすること。
シュミット・ダニエルのこれまでの経歴
- 八幡サッカースポーツ少年団(仙台市立八幡小学校)
- 仙台スポーツシューレFC(仙台市立川前小学校)
- 東北学院中学校サッカー部
- 東北学院高校サッカー部
- 中央大学サッカー部
- ベガルタ仙台
- ロアッソ熊本
- 松本山雅FC
- ベガルタ仙台
- シント=トロイデン(ベルギー)
小学生時代
シュミット選手は小学生時代、仙台市内の2つのクラブでプレーしています。
- 八幡サッカースポーツ少年団
- 仙台スポーツシューレFC
約10年後、”プロ選手”として仙台に帰還するシュミット選手。
自分の育った街でプロサッカー選手になることは、とても感慨深かったことでしょう。
2018年には母校である八幡小学校に訪問しています。
(参照:EL GOLAZO)
中学・高校時代
中学・高校生時代は、東北学院サッカー部でプレーしています。
中高一貫校で、特に中学は全国大会の常連。
中学生まではMFとしてプレーし、高校からGKにコンバートします。
また、高校3年時には、練習生としてベガルタ仙台の練習に参加しています。
バレー部に転部したり、GKにコンバートしたりと非常に濃い6年間だったはずです。
大学時代
大学生時代は、中央大学サッカー部でプレーしています。
- 特別指定選手として川崎フロンターレの一員になる
- 全日本大学選抜に選出される
輝かしい実績はあるものの、1学年先輩の岡西宏祐選手(現・ヴァンフォーレ甲府)の控えに。
大学4年時からレギュラーとしてプレーしています。
2学年後輩には、同じく日本代表の古橋亨梧選手も在籍していました。
ベガルタ仙台
2014年にベガルタ仙台に入団します。
プロサッカー選手として”地元の仙台”に凱旋するも、出場機会は得られず。
この後、複数回におよぶレンタル移籍を行います。
ロアッソ熊本
Embed from Getty Imagesシュミット選手は、ロアッソ熊本に2度のレンタル移籍をしています。
- 2014年4月〜5月
- 2015年6月〜12月
計:9ヶ月間
2014年、ロアッソ熊本はGKが相次いで負傷するアクシデントが発生。
緊急補強でシュミット選手をレンタルで獲得。
シュミット選手もJ2の舞台で出場機会を得て、2シーズンで28試合に出場します。
シュミット選手の移籍事情
・2014:仙台→熊本(J2)4試合出場→仙台
・2015:仙台→熊本(J2)26試合出場
松本山雅FC
Embed from Getty Images2016年に松本山雅FCにレンタル移籍し、1年間プレー。
シュミット選手は守護神として、チームのJ2リーグ3位に貢献します。
この年に、日本代表候補合宿に初めて招集されます。
松本時代の成績
・2016:41試合(J2)
当時日本代表監督のハリル・ホジッチが”世界基準の体格”として注目。
サッカーファンからの知名度も一気に高まりました。
ベガルタ仙台
Embed from Getty Images2017年にベガルタ仙台に復帰します。
2シーズン半にわたって仙台のゴールマウスを守り、2018年にはクラブ史上初の天皇杯決勝に進出しました。
仙台時代の成績
・2017:20試合(J1)
・2018:18試合(J1)
・2019:19試合(J1)
シント=トロイデン(ベルギー)
Embed from Getty Images2019年の夏に、シュミット選手は海外移籍を決断します。
ベルギーのシント=トロイデンに移籍し、初年度からレギュラーに定着。
在籍4年目を迎えた今シーズンも、レギュラーとして毎試合出場しています。
シント=トロイデンでの成績
・2019-20:20試合
・2020-21:24試合
・2021-22:31試合
・2022-23:31試合
日本代表
Embed from Getty Images日本代表初選出は2018年。
ロシアワールドカップ以降、継続して日本代表に招集されています。
親善試合での出場はあるものの、大舞台での出場はアジアカップのウズベキスタン戦のみ。
ポジションが1枠しかない、GKならではの難しさです。
2022年はすでに4試合に出場しており、森保監督の中での序列は確実に高まっているように感じます。
シュミット・ダニエルの試合を観戦する方法
Embed from Getty Imagesシュミット選手がプレーする”ジュピラーリーグ”は、以下のチャンネルで観戦できます。
まとめ
海外でのプレーは、異文化への適応と言語が話せるかが非常に重要と言われます。
特に、GKは味方を声で動かすことも重要。
言語の問題で海外で活躍できなかった日本人GKは多いです。
その点、シュミット選手は英語で喋れます。
”声で味方を動かせる”点は、レギュラーを勝ち取る上で大きなポイントだったかもしれません。
世界基準の体格を持ち、現代サッカーに適応する足元の技術を持ったGK。
W杯では出番がなかったものの、今以上に注目される存在になる日は近いかもしれません。
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