「天才・ONO」
「ボールが足に吸い付く」という表現を、まさに目の前で見せてくれる選手。
海外のトッププレーヤーにさえも”衝撃”を与え、「怪我がなければ」という企画では真っ先に名前が挙ります。
ピッチでは”天才”、ピッチを離れば”人格者”。
- サッカー少年の憧れ
- 若手プレーヤーの模範
- サポーターには”感動”を
日本サッカーへの貢献度は、計り知れません。
今回は、小野伸二のプレースタイルと経歴をご紹介します。
「もっとサッカーが楽しくなる」をテーマに、ブログを書いています。
【10分以内】で、気軽に読める記事がたくさんあります。
初心者の方も、サッカー通の方も、ぜひ楽しく読んでください。
小野伸二ってどんな選手?
- 名前:小野伸二(おの しんじ)
- 生年月日:1979年9月27日
- 出身地:静岡県沼津市
- 所属チーム:北海道コンサドーレ札幌
- ポジション:MF
- 背番号:44番
- 身長:175cm
- 体重:74kg
- 利き足:右
日本代表歴
Embed from Getty Images- A代表
W杯3大会出場
(1998年,2002年,2006年) - 世代別
ワールドユース準優勝
(1999年)
A代表
Embed from Getty Images通算成績:56試合6ゴール
W杯には、3大会出場。
- 1998年大会:18歳で出場
- 2002年大会:ベルギー戦で”同点ゴール”を演出
- 2006年大会:期待の中で無念のGL敗退
世代別
#ワールドカップ を戦う #U20日本代表 の過去大会をプレイバック✍️
— サッカー日本代表 🇯🇵 (@jfa_samuraiblue) May 24, 2023
今大会の試合情報はこちら⏬https://t.co/3GhcDgdWjw
|◤第10回FIFAワールドユース選手権🏆◢|
1999年/ナイジェリア[監督]フィリップ・トルシエ
⚔️グループステージ第1戦⚔️
●1–2 カメルーン
⚽️51'高原直泰… pic.twitter.com/2QXAwC7pQw
12歳の時にナショナルトレセンに初参加。
”黄金世代”の中心人物で、ワールドユースでは準優勝に。
決勝戦は出場停止で出場できず。
シャビ(現・バルセロナ監督)率いるスペインに0-4で敗北しています。
各国記者からも、「小野が出ていれば・・・」と言われるほど。
期待されていたシドニー五輪には、大怪我の影響で出場できず。
その後、OA枠(オーバーエイジ)で2004年アテネ五輪に出場しています。
小野選手は、FIFA・UEFAが主催する”すべての大会”に出場した唯一に日本人選手です。
海外でも”天才”
Embed from Getty Images「天才」という言葉が似合う小野伸二選手。
この認識は、日本だけではありません。
ヨーロッパのトッププレーヤーからも、「衝撃を受けた選手」として名前を上げられています。
有名なのは、以下の4選手たち。
スナイデル(元・オランダ代表)
Embed from Getty Images主な所属チーム
・アヤックス(オランダ)
・レアル・マドリード(スペイン)
・インテル(イタリア) など
ファン・ペルシー(元・オランダ代表)
Embed from Getty Images主な所属チーム
・フェイエノールト(オランダ)
・アーセナル(イングランド)
・マンチェスターU(イングランド) など
カイト(元・オランダ代表)
Embed from Getty Images主な所属チーム
・ユトレヒト(オランダ)
・フェイエノールト(オランダ)
・リヴァプール(イングランド) など
トマソン(元・デンマーク代表)
Embed from Getty Images主な所属チーム
・フェイエノールト(オランダ)
・ACミラン(イタリア)
・シュツットガルト(ドイツ) など
Jリーグ30周年ベストイレブン
小野選手は、Jリーグ30周年ベストイレブンに選出。
1998年に浦和レッズでプロデビューし、その年にW杯に出場。
Jリーグでは19シーズンに渡ってプレーしている”レジェンド”です。
フィリピン戦での大怪我
日本サッカーにおける、「あの怪我がなければ・・・」のNo.1でしょう。
1999年のシドーニー五輪アジア予選のフィリピン戦。
後方からの”両足タックル”を受け、靭帯断裂。
完治後も、「見える景色が変わった」と語るほどの大怪我です。(参照:FOOTBALL ZONE)
しかし、怪我の後にヨーロッパに渡り、W杯にも出場。
「怪我がなければ、どこまでいけたのか・・・」と思わずにはいれません。
2023年シーズンをもって引退
2023年9月27日。
44歳の誕生日に、背番号44番の小野伸二選手の現役引退が発表されました。
最終戦は、古巣”浦和レッズ”との対戦です。(@埼玉スタジアム)
小野伸二の着用スパイク
メーカー:アシックス
小野伸二選手は、アシックスの”DSライト”を着用しています。
DSライトシリーズは、アシックスの看板スパイク。
軽量で、尚且つクッション性に優れた天然皮革のスパイクです。
小野伸二のプレースタイル
Embed from Getty Images「トラップ1つにお金払う価値がある」
- 柔らかすぎるトラップ
- 両足共に高精度なキック
- 創造性豊かなプレー
「天才」と呼ばれる所以は、ボールタッチの柔らかさ。
鋭いパスでも、なぜか”ピタッ”と止めてしまうトラップ。
キックは両足ともに高精度。
なかでも有名なのは、バックスピンをかけた”ベルベットパス”。
味方がダイレクトが蹴れるように”メッセージ”を込めた天才的なパスです。
小野伸二選手のプレーには、”サッカーの楽しさ”が凝縮されています。
小野伸二の経歴
- 今沢サッカースポーツ少年団
- 沼津市立沼沢中学校サッカー部
- 清水商業高校サッカー部
- 浦和レッズ
- フェイエノールト
- 浦和レッズ
- ボーフム(ドイツ)
- 清水エスパルス
- ウェスタン シドニー ワンダラーズ(豪)
- コンサドーレ札幌
- FC琉球
- 北海道コンサドーレ札幌
学生時代
10兄弟6番目の子供。
少年団に入る前から”抜群のテクニック”があり、「11人抜きゴールを決めた」という伝説も。
「静岡県といえば、”小野と高原”」というほどずば抜けた存在で、その後プロになった同年代の選手たちにも衝撃を与えていました。
実際に、高原直泰さんと共に、日本代表まで上り詰めています。
浦和レッズ
Embed from Getty Images1998年に浦和レッズに入団します。
天才は、プロ1年目から天才っぷりを発揮。
- 1998年フランスW杯出場
- Jリーグベストイレブン
- Jリーグ新人王
しかし、1999年に靭帯断裂の大怪我を負うと、チームもJ2に降格。
1年での復帰を果たし、2001年夏にオランダへと旅立ちます。
浦和での成績
・1998年:27試合9ゴール(ベスト11、新人王)
・1999年:14試合2ゴール
・2000年:24試合7ゴール(J2)
・2001年:14試合2ゴール(途中退団)
フェイエノールト(オランダ)
Embed from Getty Images2001年夏にフェイエノールトに移籍します。
当時の日本は、「サッカー後進国」という認識されていた時代。
蓋を開けたら、”誰よりも上手い!”。
・2002年UEFAカップ優勝(現・ヨーロッパリーグ)
・2年連続でCL出場
チームメイト・対戦相手・サポーターみなを魅了するプレー。
「天才・ONO」の名前は、ヨーロッパ中に轟きます。
フェイエノールトでの成績
・2001-02:30試合3ゴール
・2002-03:28試合7ゴール
・2003-04:24試合2ゴール
・2004-05:25試合7ゴール
・2005-06:4試合0ゴール
浦和レッズ
Embed from Getty Images2006年1月に浦和レッズに復帰します。
戦術的理由もあり、レギュラーには定着できず。
ただ、”出場すれば誰よりも上手い”。
2006年の鹿島アントラーズ戦の”右足アウトでのループ”は名シーンの一つ。
Jリーグ公式が選定する「超絶ループシュート2位」に選ばれています。
浦和での成績
・2006年:28試合5ゴール
・2007年:25試合3ゴール
ボーフム(ドイツ)
Embed from Getty Images2008年1月にボーフムに移籍します。
”1vs1の対人プレー”に重きを置くドイツサッカーに苦戦。
2度の退場や、2度目の靭帯断裂など、思うようにはいかなかったことも。(参照:Number)
それでも、チームメイトには「ベストプレーヤー認定」を受けるなど、どこにいっても”小野伸二は天才”です。(参照:FOOTBALL ZONE)
ボーフムでの成績
・2007-08:12試合0ゴール
・2008-09:25試合3ゴール
清水エスパルス
Embed from Getty Images2010年に清水エスパルスに移籍します。
30歳で決断した、地元静岡への帰還。
長谷川健太監督の元トップフォームを取り戻し、「代表復帰」の噂も囁かれるほどに。
2011年からはキャプテンに就任し、盟友・高原直泰選手がチームに加入しています。
清水時代の成績
・2010年:30試合2ゴール(天皇杯準優勝)
・2011年:26試合6ゴール
・2012年:14試合0ゴール(途中退団)
ウェスタン シドニー ワンダラーズ(オーストラリア)
Embed from Getty Images2012年9月にWSW(ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ)に移籍します。
Aリーグ(オーストラリアリーグ)加盟1年目に、小野選手が加入。
そして、初年度からリーグ2位の成績。
フィジカルを重きを置く国だからこそ、”テクニック”に秀でた小野選手は稀有な存在に。
デルピエロ(元・イタリア代表)と共に、”リーグの顔”になります。
Embed from Getty Imagesコンサドーレ札幌
Embed from Getty Images2014年6月にコンサドーレ札幌に移籍します。
当時J2のチームに加入。
先発出場の機会こそ少なかったものの、”出場した時の上手さ”と”若手への指導”でチームに貢献。
同じく黄金世代の稲本潤一選手と共に、チームを引っ張るベテランとしての役目を果たしました。
札幌での成績
・2014年:7試合0ゴール(途中入団)
・2015年:17試合2ゴール
・2016年:15試合0ゴール
・2017年:16試合0ゴール(J1)
・2018年:7試合0ゴール(J1)
・2019年:0試合0ゴール(J1)
FC琉球
Embed from Getty Images2019年にFC琉球に移籍します。
「沖縄のサッカーに変化をもたらしたい」というクラブの想いから、J2初参戦のシーズンに移籍が実現。(参照:REAL SPORTS)
出場試合は多くなかったものの、チームに”経験”を伝えた小野選手。
自ら積極的なコミュニケーションをとり、影響を受けた若手選手は大勢います。
琉球での成績
・2019年:9試合0ゴール(途中入団)
・2020年:14試合0ゴール
FC琉球でのチームメイト
・徳元悠平(現・FC東京)
・鈴木孝司(現・セレッソ大阪)
・上門知樹(現・セレッソ大阪)
・小泉佳穂(現・浦和レッズ)
北海道コンサドーレ札幌
Embed from Getty Images2021年に北海道コンサドーレ札幌に復帰します。
サッカー界のトレンドは「走る」こと。
それは、華麗なパス回しを見せる”ミシャサッカー”においても同様。
ベンチ入りも難しい状況でも、練習中に見せる”技術”はチームNo.1。
2022年には、「選手兼コーチ」として札幌との生涯契約も結んでいます。
札幌での成績
・2021年:4試合0ゴール
・2022年:1試合0ゴール
まとめ
ピッチに魔法をかける天才プレーヤー。
「たら・れば」を言っても意味はありませんが、怪我がなければ「日本サッカーの歴史を変えていたかも」と思わずにはいられません。
往年のサッカーファンからの人気は根強く、ウォーミングアップをしているだけでもカメラを向けられる選手。
44歳になった今でも、SNSでテクニックを披露するとバズりまくり。
「小野伸二」という”天才”は、
これからも日本サッカーの宝であり続けます。
コメント