日本代表にも選ばれていて、Jリーグのベストイレブンは2回受賞。
2022年カタールW杯にも出場。
そんな輝かしい実績を持ちながらも、”山根視来がどんな選手か”を語れる人は少ないように感じます。
その理由は、地味だけど良いプレーをしているからです。
たくさんゴールを決めるような派手さはないけれど、チームを陰で支える縁の下の力持ち。
まさに”サッカー通好み”の選手です。
今回は、山根視来選手のプレースタイルと経歴をご紹介します。
山根視来について
- 名前:山根視来(やまね みき)
- 生年月日:1993年12月22日
- 出身地:神奈川県横浜市
- 所属クラブ:川崎フロンターレ
- 背番号:13番(日本代表では2番)
- 身長:178cm
- 体重:72kg
高木豊との仲
元プロ野球選手で、解説者の高木豊さん。
高木三兄弟は全員Jリーガーでお馴染みですが、山根選手はその幼馴染です。
毎日のように公園で”山根家vs高木家”のサッカーの試合が展開されたそうです。
通信制高校のサッカー部出身
「FIFAワールドカップ(W杯)カタール2022」の #サッカー日本代表 メンバーとして、#第一学院高等学校 の卒業生4名<山根 視来さん・酒井 宏樹さん・伊藤 洋輝さん・久保 建英さん>が選出されています⚽️
— 【公式】第一学院高等学校 (@daiichigakuinhs) November 1, 2022
▼詳しくはこちらhttps://t.co/3T7wUuzTZu#第一学院 #サッカー日本代表 #SAMURAIBLUE
サッカー選手名鑑を見ていると、出身高校に「第一学院高校(旧・ウィザス高校)」と書いてあるのを見たことがありませんか?
第一学院高校は通信制の高校です。
Jチームのユースに所属する選手が二種登録をし、「日中に練習をするプロサッカー選手の生活を送るため」に通信制の高校に通うケースが多いです。
プロとの両立のために通信制の学校に通う選手が多い中、山根選手は通信制高校のサッカー部出身の選手です。
実は第一学院高校はサッカーの強豪校で、2014年には冬の選手権で全国大会に出場しています。
2011年に学校が被災
2011年に起きた東日本大震災。
当時高校生の山根選手は茨城県高萩市の寮で生活していました。
震災の影響で学校が被災し、練習ができない状態に。
非常に辛い経験ですが、実は人生の転機に。
一時的に実家に帰り、近くの桐蔭横浜大学サッカー部の練習に参加。
関東リーグの強豪大学に実力を認められ、高校卒業後には桐蔭横浜大学でプレーします。
山根視来のプレースタイル
山根選手のプレーは派手ではないものの、非常に堅実です。
”かゆい所に手が届く”選手で、チーム力を一段階アップさせます。
山根選手の主な強みは、以下の3つです。
- タイミングの良いオーバーラップ
- 90分走り抜くスタミナ
- 対人守備の強さ
タイミングの良いオーバーラップ
SB(サイドバック)の山根選手は、絶妙なタイミングでオーバーラップをします。
そこからボールを受け、クロスを上げることで幾度となくチャンスを生み出しています。
また、ボールを受けずに囮(おとり)になることで、味方選手の手助けをすることにも秀でています。
オーバーラップとは
後ろの選手が、ボールを持っている選手を追い越す動きのこと。
90分間走り抜くスタミナ
山根選手はスタミナのある選手です。
右サイドを駆け上がり、味方ゴールから相手ゴールまで何度も往復します。
プレーの強度も高く、当たり前のように90分間全力でプレーします。
対人守備の強さ
山根選手は対人守備が強い選手です。
相手からボールを奪い、相手の攻撃を止めると同時に味方の攻撃を開始させます。
プロ入り時は、ドリブルの上手さを強みとしていました。
山根視来の経歴
- あざみ野FC
- 東京ヴェルディジュニア(川崎市立あざみ野第二小学校)
- 東京ヴェルディジュニアユース(川崎市立あざみ野中学校)
- ウィザス高校サッカー部(現・第一学院高校)
- 桐蔭横浜大学サッカー部
- 湘南ベルマーレ
- 川崎フロンターレ
小学生時代
小学生時代、山根選手はあざみ野FCでプレーしています。
サッカーをしていた父と兄の影響を受け、5歳でサッカーを始めます。
小学4年生時に東京ヴェルディのセレクションを突破。
以降、ヴェルディの下部組織でプレーしています。
お兄さんもあざみ野FCに所属していました。
中学生時代
中学生時代は、東京ヴェルディジュニアユースでプレーしています。
エリート軍団で有名なヴェルディの下部組織で6年間プレーするも、ユースへの昇格は逃します。
ヴェルディジュニアユースのチームメイト
・1992年生まれ:小林祐希選手(現・ヴィッセル神戸)
高木善朗選手(現・アルビレックス新潟)など
・1993年生まれ:山根視来選手
杉本竜士選手(現・東京ヴェルディ)など
・1994年生まれ:中島翔哉選手(現・アンタルヤスポル[トルコ])
前田直輝選手(現・FCユトレヒト[オランダ])
ウィザス高校サッカー部(現・第一学院高校)
高校時代、ウィザス高校のサッカー部でプレーしています。
湘南ユースのセレクションに落選し、高体連でのプレーを選択した山根選手。
先述した通り、学校の被災の影響で地元近くの桐蔭横浜大学の練習に参加します。
この練習参加は、近所に住む高木豊さんのおかげで実現しています。
高木さんは元・桐蔭横浜大学監督の風間八宏さんやその他スタッフとの繋がりがあり、口利きをしてくれています。(引用:川崎フロンターレ公式HPより)
高校時代には目立った成績を残せていませんが、”人との縁”でサッカー選手へと近づきます。
桐蔭横浜大学サッカー部
大学時代は、桐蔭横浜大学サッカー部でプレーしています。
入学直後からAチームでプレーし、左サイドの攻撃的な選手として全国区の選手になります。
大学4年時には、天皇杯で湘南ベルマーレを相手に得点。
その後、湘南への入団が決まります。
湘南ベルマーレ
2016年に湘南ベルマーレに入団し、4年間プレーします。
プロ1年目は試合に絡めず、チームもJ2に降格。
2年目には曺 貴裁(チョウ キジェ)監督の提案で、DFにコンバート。
攻撃的が得意とする選手が、DFとしてプロの世界で躍動します。
プロ入り時はドリブラーだった山根選手は、時折DFらしからぬドリブルを披露します。
川崎フロンターレ
2020年に川崎フロンターレに加入します。
エウシーニョ(現・徳島ヴォルティス)移籍後、定まっていなかった川崎の右SB(サイドバック)に完璧にフィット。
2020年、2021年のJリーグ連覇に貢献。
2022年には、自身2度目のJリーグベストイレブンを受賞しています。
日本代表
山根選手は、2021年に日本代表に初選出されています。
初選出からすぐに日本代表に定着し、W杯アジア最終予選でも4試合プレー。
世代別日本代表の経験がない山根選手ですが、見事カタールW杯への出場を果たしました。
まとめ
黒子的な役割を全うし、チームを勝利に近づける山根選手。
確実に任務を遂行する姿は、ゴルゴ13を彷彿とさせます。
2022年Jリーグ最終節では、古巣である湘南サポーターからもW杯への後押しを受けた山根選手。
本職の守備の上手さはもちろんですが、もともとは攻撃的な選手です。
時折見せるドリブルが、日本代表の躍進につながるかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


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