「ワールドクラスのSB」
世界的に見ても、スター選手が少ないのがSB(サイドバック)というポジション。
2010年代、日本には4人の優秀なSBがいることで、”サイドバック大国”と呼ばれるようになりました。
その優秀なSBの一人が”酒井宏樹選手”です。
若手の頃は、長友佑都選手、内田篤人さんの牙城を崩せずにいた酒井選手ですが、現在は間違いなく日本No.1のSB。
今回は、酒井宏樹選手のプレースタイルと経歴をご紹介します。
酒井宏樹について
Embed from Getty Images- 名前:酒井宏樹(さかい ひろき)
- 生年月日:1990年4月12日
- 出身地:長野県中野市
- 所属クラブ:浦和レッズ
- ポジション:DF
- 背番号:2番(日本代表では19番)
- 身長:185cm
- 体重:78kg
株式会社ASSISTの取締役
酒井選手は、株式会社ASSISTの取締役を務めています。
2019年に代表取締役社長の大津祐樹選手(現・ジュビロ磐田)と共に起業。
採用支援や食事管理など、アスリートを様々な形で支援する事業を行っています。
謙虚で優しい性格
酒井選手は、謙虚で優しい性格で有名です。
日本を代表する選手になっても驕ることはなく、試合中に悪態をつくことはありません。
ファンサービスも抜群に良く、サポーター人気も非常に高いです。
サッカー系YouTuberのレオザさんの”酒井選手への指摘”に共感し、助言を求めたことも。
誰に対しても謙虚で、常に学ぶ意欲を持った選手です。
応援歌は「やってやれ」
Embed from Getty Images「酒井やってやれ!」
柏時代の酒井選手のチャント(応援歌)には、”やってやれ”という言葉が入っています。
長身選手がガンガン突き進んでいく”イケイケ感”。
J2から昇格して、即J1で優勝を成し遂げるチームの”イケイケ感”。
どこまでも突き進んでいくそのプレーから、「やってやれ」というフレーズが使われています。
酒井宏樹の着用スパイク
Embed from Getty Imagesメーカー:ナイキ
酒井選手は、ナイキの”マーキュリアル”を着用しています。
マーキュリアルシリーズは、加速力に特化。
スピードスターに好まれる人工皮革のスパイクです。
※フットサル用や、お子様向けのシリーズもあります。
酒井宏樹のプレースタイル
Embed from Getty Images9年間にわたってヨーロッパで活躍した酒井選手。
日本No.1のSB(サイドバック)は、ネイマール、エンバペといった世界最高峰の選手たちとも対等に渡り合ってきました。
そんな酒井選手の大きな強みは、以下の3つです。
- 日本人離れした身体能力
- 高速クロス
- 対人能力の強さ
日本人離れした身体能力
酒井選手には馬力があり、そのプレーは迫力満点です。
- 体格が良い
- スピードがある
- パワーがある
アスリートとして非常に優れており、サッカー以外のスポーツでもプロになれるくらいの身体能力です。
高速クロス
酒井選手は、高速クロスを武器にブレイクしました。
酒井選手の、速く・正確なクロスから、数えきれない程の得点を生み出しています。
- 味方が触るだけでゴールにつながる
- 守る側は、処理が難しい
相手選手からすると、非常に恐ろしいクロスです。
対人守備の強さ
酒井選手は、対人守備が強い選手です。
- 1vs1に重きを置くドイツ
- アフリカ系選手の多いフランス
ヨーロッパの中でもトップ5に入る国で長年プレーし、強く・上手い選手へとステップアップしました。
酒井宏樹のこれまでの経歴
- 柏マイティーFC(柏市立富勢西小学校)
- 柏レイソルU-15(柏市立富勢中学校)
- 柏レイソルU-18(千葉県立柏中央高校)
- 柏レイソル
- ハノーファー96(ドイツ)
- マルセイユ(フランス)
- 浦和レッズ
小学生時代
小学生時代は、柏マイティーFCでプレーしています。
当時はFWとしてプレーしていた酒井選手。
体格の良さ、身体能力の高さを武器に、千葉県選抜や関東トレセンにも選出。
当時の柏市のサッカー少年は、誰もが”マイティーの9番”を知っています。
2023年より、酒井選手は柏マイティーFCジュニアユースのアドバイザーに就任します。
中学生時代
中学生時代は、柏レイソルU-15でプレーしています。
後に9人がプロ入りする柏レイソルユース黄金世代の壁は高く、1年生の頃はほとんど試合に絡めず。
中学2年生頃からは吉田達磨さんに指導を受けるようになり、徐々に出場機会も増加。
サイドハーフ、サイドバックなど様々なポジションでプレーしています。
柏レイソルユース黄金世代
・酒井宏樹(現・浦和レッズ)
・武富孝介(現・ヴァンフォーレ甲府)
・工藤壮人
・比嘉厚平(柏レイソルアカデミーコーチ ~2021まで)
・山崎正登(現・柏レイソルA.A野田 コーチ)
・仙石廉(現・柏レイソルユース コーチ)
・指宿洋史(現・アデレード・ユナイテッド [豪])
・島川俊朗(現・サガン鳥栖)
・畑田真輝
高校時代
高校時代は、柏レイソルU-18でプレーしています。
世界大会では、リヴァプール、アヤックス、セルティックの下部組織を下して3位に輝きます。
高校3年時には、2種登録としてトップチームに帯同し、高校も通信制の学校に転校しています。
レイソルU-18は、吉田達磨監督の元、まるでバルセロナのようなパスサッカーを展開していました。
柏レイソル
Embed from Getty Images2009年に柏レイソルに昇格します。
1年目は試合に絡めず。
4ヶ月間のブラジル留学を行うも、状況は変わらずチームはJ2に降格。
2010年はJ2で9試合に出場。
そして、転機は2011年に訪れます。
J1に昇格するタイミングで、右サイドバックの小林祐三選手(現・サガン鳥栖強化部)がマリノスに移籍。
その穴を埋める形で酒井選手がスタメンに定着します。
- レアンドロ・ドミンゲスとのコンビネーション
- 北嶋秀明への高速クロス
この2つの連携を武器に、レイソルのJ1昇格・即優勝に貢献します。
2012年の退団セレモニーでは、サポーターから「声が小さい」といじられています。
ハノーファー96(ドイツ)
Embed from Getty Images2012年夏にハノーファー96に移籍し、4年間プレーします。
1年目は定位置を掴めずに過ごしますが、2年目からはドイツに適応。
100試合以上の公式戦に出場し、酒井選手は”世界基準のサイドバック”へと飛躍します。
Embed from Getty Imagesハノーファーでは、清武弘嗣選手(現・セレッソ大阪)、山口蛍選手(現・ヴィッセル神戸)と共にプレーしています。
マルセイユ(フランス)
Embed from Getty Images2016年にマルセイユに移籍し、5年間プレーします。
- リーグ2位が2回
- CL(チャンピオンズリーグ)に出場
- EL(ヨーロッパリーグ)で準優勝
伝統あるクラブで、ヨーロッパ最高峰の戦いも経験。
怪我をしながらも試合に出場し、批判を浴びるシーズンもありました。
それでも、酒井選手のパワフルなプレーと人柄は、”熱く過激なマルセイユサポーター”からも愛されました。
セルビア代表監督としてカタールW杯に出場するストイコビッチ監督(元・名古屋グランパス)はマルセイユのOBです。
浦和レッズ
Embed from Getty Images2021年夏に浦和レッズに移籍します。
怪我で戦列を離れることはあるものの、Jリーグ・ACLで文字通り”別格”のプレーを披露しています。
2023年シーズンからはキャプテンに就任。
世代交代を図る若いチームを、”声で・背中で”引っ張ります。
日本代表
Embed from Getty Images2012年に、日本代表デビュー。
10年以上にわたって日本代表としてプレーし、W杯3回・五輪2回メンバー入り。
- 2012年ロンドン五輪
- 2014年ブラジルW杯
- 2018年ロシアW杯
- 2021年東京五輪
- 2022年カタールW杯
”内田篤人の控え”としてベンチを温める試合も多く、ブラジルW杯でも出番はなし。
そんな悔しさをバネに、飛躍を遂げた酒井選手。
アジアNo.1SBは、2大会連続でW杯ベスト16に輝きました。
まとめ
”世界基準”が染み付いた酒井選手。
Jリーグ第23節の川崎フロンターレ戦では、”豪快なファールスロー”が話題になりました。
些細なことでは笛を吹かないヨーロッパ経験者ならではの失敗かもしれません。
もちろん、ヨーロッパではより大きなものを持ち帰っています。
- プレー強度
- 身体能力
- ポジショニング
- 戦術理解度
ありとあらゆる能力を高め、日本サッカーに還元してくれています。
ロシア・カタールと2大会連続でW杯ベスト16入りを経験した酒井選手。
これからも、迫力あるプレーを見せてくれるでしょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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