2022年カタールW杯アジア最終予選。
日本代表は、3試合で1勝2敗という最悪に近いスタートを切りました。
W杯7大会連続出場に黄色信号が灯り、森保ジャパンには非難の声が浴びせられました。
森保監督と共に、最も叩かれたのはチーム最年長の長友選手。
3大会連続でW杯に出場し、ビッグクラブで長年活躍を続けた長友選手も36歳。
- 「ミスが多い」
- 「走れていない」
- 「カバーにいけていない」
メディアでも、ネットでも辛辣なコメントが相次ぎました。
しかし、6月のブラジル戦、9月のエクアドル戦で評価は一転。
南米の強豪選手を完璧に押さえ込み、長友選手を讃える声が続出しました。
「これぞ長友」というプレーを披露し、結果で見返した長友選手。
今回は、長友佑都選手のプレースタイルと経歴についてご紹介します。
長友佑都について
Embed from Getty Images- 名前:長友佑都(ながとも ゆうと)
- 出身地:愛媛県西条市(旧・東予市)
- 所属クラブ:FC東京
- ポジション:DF
- 背番号:5番(日本代表でも5番)
- 身長:170cm
- 体重:68kg
長友のアモーレは平愛梨
みなさんもご存知の通り、長友選手の奥様は女優の”平愛梨さん”です。
交際が報じられた際、「平さんは僕のアモーレ(イタリア語で”愛する人”)です。」と述べたことで、日本で”アモーレ”が大流行。
2016年の流行語大賞に”アモーレ”がノミネートされました。
ちなみに、二人のキューピットになったのは、お笑い芸人の三瓶さんです。
平愛梨さんは妹で女優の平祐奈さんと仲良しです。
長友選手の応援に、妹さんも一緒に駆けつけることも。
圧巻のコミュニケーション能力
海外では、「日本人は大人しい」と言われることが多く、コミュニケーションの問題で悩む選手も少なくはありません。
それに対して、長友選手は”超”がつくほどの明るい性格です。
外国人選手からは、「あいつは日本人じゃない」と言われるほどで、チームの中心にはいつも長友選手がいます。
マルセイユ(フランス)に移籍した際、同僚だった酒井宏樹選手は、”長友選手のチームに溶け込む早さ”に驚き、思わずインスタのストーリーを投稿したことも。
インテル時代に”お辞儀”を流行らせた
Embed from Getty Imagesインテル所属時、長友選手は持ち前のコミュニケーション能力で”お辞儀”を流行らせています。
ゴールを決めるとチームメイトが集まり”お辞儀”をする。
お辞儀パフォーマンスは下部組織にも広まり、ユースチームでも取り入れられていたというから驚きです。
当時インテルに所属していた有名選手
・スナイデル(元・オランダ代表)
・エトー(元・カメルーン代表)
・サネッティ(元・アルゼンチン代表)
・ディエゴミリート(元・アルゼンチン代表)
・カンビアッソ(元・アルゼンチン代表)
・サムエル(元・アルゼンチン代表)
・フォルラン(元・ウルグアイ代表)
・カッサーノ(元・イタリア代表)
・ルシオ(元・ブラジル代表)
・マイコン(元・ブラジル代表)
・コウチーニョ(現・ブラジル代表) など
長友は経営者でありYouTuberでもある
長友選手の本職はサッカー選手ですが、実は経営者でもあります。
- 長友佑都フットボールアカデミー
- 株式会社Cuore
サッカースクールのオーナーを務める他、アスリートの健康サポート等を行う株式会社Cuoreの代表取締役社長を務めています。
また、YouTubeチャンネルを開設するなど、オフも大忙しの毎日のはずです。
YouTubeチャンネルについては、こちらをチェックしてみてください。
【Jリーガー×YouTube】
長友佑都の着用スパイク
Embed from Getty Imagesメーカー:ナイキ
長友選手は、ナイキの”マーキュリアル”を着用しています。
マーキュリアルシリーズは、加速力に特化。
スピードスターに好まれる人工皮革のスパイクです。
※フットサル用や、お子様向けのシリーズもあります。
長友佑都のプレースタイル
Embed from Getty Images日本代表デビューから14年の月日が経過し、出場試合数は130試合以上。
現在も日本代表としてプレーする長友佑都選手の大きな強みは、以下の3つです。
- 体幹の強さ
- 対人守備の強さ
- メンタル・向上心
体幹の強さ
長友選手は170cmで、サッカー選手としては小柄です。
小柄ながらも、体格の良い外国人選手を弾き飛ばす程の強さがあります。
これは体幹が強く、競り合った時に身体の軸がずれないことが大きな要因です。
メンタル・向上心
先に述べた通り、長友選手は日本中からバッシングを受けました。
海外でプレーしていた頃は、より過激なサポーターから1試合の結果だけで叩かれることも何度もありました。
そのたびに長友選手は”結果”でサポーターを見返してきました。
ヨガで心を整え、大舞台でも最大限のパフォーマンスを発揮する。
それが長友選手です。
チームメイトからも、「長友さんは何事に対しても本気で熱い人」と言われます。
ワールドクラスの対人守備
6月のブラジル戦。
長友選手は、レアル・マドリードのヴィニシウス選手を完璧に押さえ込みました。
世界トップクラスのアタッカーを抑え込む俊敏性、相手の動きを読む力。
長友選手は、1vs1の守備に必要な能力を兼ね備えています。
長友佑都のこれまでの経歴
- 神拝サッカースクール(西条市立神拝小学校)
- 西条市立西条北中学校サッカー部
- 東福岡高校サッカー部
- 明治大学サッカー部
- FC東京
- ACチェゼーナ(イタリア)
- インテル・ミラノ(イタリア)
- ガラタサライ(トルコ)
- マルセイユ(フランス)
- FC東京
小学生時代
小学生時代、長友選手は愛媛県の神拝サッカークラブでプレーしています。
小学1年生の時にサッカーを始め、県大会で上位に入ることも。
当時はドリブルを得意とするFWで、個人技で打開する選手だったようです。
愛媛FCのセレクションに参加するも、落選しています。
中学校時代
中学校時代は、西条北中学校サッカー部でプレーしています。
不良が集まる環境で、長友選手自身も不良の仲間入りを果たします。
しかし、”熱い先生”が赴任したことがきっかけでサッカー部は生まれ変わり、県大会で3位になる程に。(引用:東京都サッカー協会HPより)
中学3年生の頃は、サッカー部と駅伝部を掛け持ちしています。
高校時代
高校時代は、東福岡高校サッカー部でプレーしています。
東福岡高校は全国大会の常連で、長友選手も全国大会にも出場。
朝から晩までサッカーに明け暮れ、3年生の時にレギュラーの座を獲得しています。
ただ、スタミナに関しては入学時からトップクラスだったようです。
明治大学
大学時代は、明治大学でプレーしています。
明治大学は日本有数のサッカー強豪校で、長友選手はサッカー推薦での入学ができず。
指定校推薦で入学しています。
大学1年時にヘルニアを発症し、サッカーの練習ができず。
パチンコで憂さ晴らしをしながらも、体幹トレーニングは欠かさずに行っていたそうです。
それが功を奏し、2年時にはトップチームの試合に初出場。
そこからは、全日本大学選抜に選出、FC東京も特別指定選手になるなど、あれよあれよと成り上がっていきます。
長友選手は太鼓が上手く、スタンドの応援時に太鼓を叩いていた際に”鹿島サポーターにスカウトされた過去”があります。
FC東京
Embed from Getty Images2008年に、明治大学4年時にサッカー部を退部し、FC東京に加入します。(大学には通い続け、卒業しています。)
プロ入り初年度の開幕戦からレギュラーとして出場。
そして、後にブラジル代表としてW杯にも出場する”フッキ”を封じ込めたことで、長友選手は超有名な存在に。
日本では敵なし状態のフッキに競り勝ち、私たちサッカーファンに衝撃を与えました。
その直後に日本代表に初選出され、2010年南アフリカW杯にも出場。
W杯後に、2年半プレーしたFC東京を退団し、イタリアに渡ります。
ACチェゼーナ
Embed from Getty Images2010年夏に、当時セリエAのACチェゼーナに加入します。
守備の国イタリアでも、長友選手は通用するどころかリーグ内でトップクラスのプレーを披露します。
半年間プレーした後、私たちを更に驚かせる成り上がりを見せます。
インテル・ミラノ
Embed from Getty Images2011年冬に、長友選手はインテル・ミラノに移籍します。
インテルがCL(チャンピオンズリーグ)で優勝した翌年に加入しています。
言い換えれば、”当時のヨーロッパNo.1クラブ”に加入しています。
世界トップクラスのメンバーの中で、長友選手はレギュラーとして活躍。
長友選手自身も”サイドバックで世界トップ10”に入っていたはずです。
インテルには7年半もの期間在籍し、持ち前のコミュニケーション能力で多くの一流プレーヤーに愛されました。
特に、元イタリア代表の問題児・カッサーノ選手、元オランダ代表・スナイデル選手は長友選手のことが大好きで、いつも行動を共にする程でした。
Embed from Getty Imagesガラタサライ
Embed from Getty Images2017年夏、トルコのガラタサライに移籍します。
2度のリーグ優勝に貢献し、チャンピオンズリーグでも活躍。
出番を失い、苦しんだ時期はあったものの、”世界一熱い”と言われるガラタサライサポーターから愛された3年間です。
マルセイユ
Embed from Getty Images2020年夏にフランスのマルセイユに加入し、1シーズンの間プレーします。
同じく日本代表の酒井宏樹選手の同僚となり、”マルセイユの両サイドバックが日本代表”になった試合も。
控え選手として補強された長友選手でしたが、25試合に出場。
良い意味で予想を裏切る活躍を見せました。
FC東京
Embed from Getty Images2021年夏に11年ぶりにFC東京に復帰しました。
チームの戦力としても、若手の手本としてもチームに貢献しています。
本職の左だけでなく、右サイドバックとしても出場し、ポリバレントな能力を披露しています。
日本代表
Embed from Getty Images長友選手は日本代表として137試合に出場しています。
遠藤保仁選手に次いで2番目の多い出場数で、数多くの大舞台にもたってきました。
長友選手が出場した大きな大会
・2008年 北京五輪
・2010年 南アフリカW杯
・2014年 ブラジルW杯
・2018年 ロシアW杯
長友選手はW杯に3大会連続で出場しています。
短期決戦のW杯ならでは戦い方を知る”長友選手の存在”は、ピッチ外でも重要になるかもしれません。
まとめ
30代後半を迎えても、サッカーへの情熱が衰えることのない長友選手。
経歴をさかのぼると、改めて”偉大な選手”だと実感します。
サッカー選手に対しては、様々な声が向けられます。
長友選手のプレーも、インテルに所属していた全盛期のプレーとは異なるかもしれません。
ただ、それを経験でカバーし、相手が強くなるほど能力が高くなるメンタルは”まるで漫画の主人公のよう”に感じます。
カタールW杯日本代表のメンバー発表は11/1です。
”長友佑都”の名前が呼ばれるのかどうかに、日本中が注目しています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
以下の記事も、ぜひ読んでみてください。
コメント