日本代表のエースとして、数々の伝説を残してきた本田圭佑さん。
その実力は本物で、”日本サッカー史上最高の実績”を誇ると言っても過言ではありません。
サッカー人気絶頂期のエースということもあり、メディアからの注目度も抜群。
試合以外の部分でもサッカーファンを楽しませてくれる存在でした。
現在は、経営者やカンボジア代表監督など”数々の顔”を持ち、常に挑戦を続ける本田さん。
今回は、本田圭佑のプレースタイルと経歴についてご紹介します。
本田圭佑について
Embed from Getty Images- 名前:本田圭佑(ほんだ けいすけ)
- 生年月日:1986年6月13日
- 出身地:大阪府摂津市
- ポジション:MF
- 身長:182cm
- 体重:74kg
W杯で3大会連続ゴール
Embed from Getty Images本田選手は、W杯で3大会連続でゴールを決めています。
- 2010年南アフリカW杯:2得点(カメルーン戦、デンマーク戦)
- 2014年ブラジルW杯:1得点(コートジボワール戦)
- 2018年ロシアW杯:1得点(セネガル戦)
ゴールに加えて、3大会連続でアシストも記録しています。
3大会連続でゴール&アシストを記録した選手は”たったの6人”。
ベッカム(元イングランド代表)、ロッベン(元オランダ代表)らと肩を並べる、偉大なサッカー選手です。
9カ国でプレー
本田選手は、9カ国のリーグでプレーした経験があります。
- 日本
- オランダ
- ロシア
- イタリア
- メキシコ
- オーストラリア
- ブラジル
- アゼルバイジャン
- リトアニア
アジア・ヨーロッパ、南米、北米、オセアニアの5大陸のクラブで得点を決めた”世界唯一のサッカー選手”です。
現役時代から会社経営をしており、”様々な国でプレーする経験”をビジネスにも活かしているはずです。
ACミランの”10番”
Embed from Getty ImagesACミランといえば、世界中で人気の”ビッグクラブ”です。
特に1980年代〜2000年代は世界最強クラブのひとつで、世界的に有名な選手ばかりが所属するクラブでした。
- 欧州王者:7回
- リーグ優勝:19回
本田選手は、自分の中の”リトル本田”に従い、2013年にACミランに加入。
さらに、エースナンバーの10番を着用することに。
同じくミラノに本拠地を置くインテルには長友佑都選手が所属。
Embed from Getty Images”ミラノダービーでの日本人対決”に、日本のサッカーファンは大歓喜しました。
本田圭佑のエア移籍
本田選手は、メディアやファンからの憶測で移籍先が語られる”エア移籍”が頻発していました。
実際にオファーがあったかどうかは定かではありませんが、数々のビッグクラブへの移籍が噂されました。
- レアル・マドリード
- バルセロナ
- マンチェスター・シティ
- ラツィオ など
実力があるからこそ、希望も込みで話が飛躍。
人気・実力もある選手の大変さが伺えた出来事です。
本田圭佑のプレースタイル
Embed from Getty Images本田選手は、”フィジカルで世界と戦える”日本には珍しい選手です。
走力が特別秀でているわけではありませんが、パワー・技術が優れており、チームの得点に絡みます。
若手の頃はパスで違いを見せる選手でしたが、海外に渡ってプレースタイルが一変。
自らもガンガン仕掛け、”得点へのこだわり”を見せるようになりました。
無回転シュート
Embed from Getty Images本田選手といえば、”無回転シュート”です。
ボールが回転せず、どんな変化をするかわからないシュートを得意とし、まさに”GK泣かせ”です。
- 2010年南アフリカW杯:デンマーク戦
- 2010年チャンピオンズリーグ:セビージャ戦
大舞台でも無回転シュートが炸裂し、”本田圭佑”の名は世界に轟きました。
契約メーカーのミズノからは、”無回転が蹴りやすいスパイク”が発売されました。
キープ力の高さ
Embed from Getty Images本田選手はフィジカルが強く、キープ力も高い選手です。
味方が上がる時間を作り出し、チームの攻撃に厚みをもたらします。
サッカーファンに衝撃を与えたのは、2011年の韓国戦です。
【日本=技術に優れる、韓国=フィジカルに優れる】
そんな特徴を覆し、フィジカルに優れる韓国の選手たちを相手に無双状態。
”日本サッカーが強くなったこと”を感じられる試合でした。
大舞台での強さ
Embed from Getty Images- チャンピオンズリーグ
- W杯
- アジアカップ
世界中が注目する大会、レベルの高い環境でこそ本田圭佑は輝きます。
2014年W杯出場を決めるPKを決めるなど、重要な局面では必ずと言って良いほど活躍。
「困った時には本田に出せば良い」と思えるほどに頼れる男です。
本田圭佑の経歴
- 摂津FC(摂津市立鵜飼北小学校)
- ガンバ大阪ジュニアユース(摂津市立第四中学校)
- 星稜高校
- 名古屋グランパス
- VVVフェンロ(オランダ)
- チェスカ・モスクワ(ロシア)
- ACミラン(イタリア)
- パチューカ(メキシコ)
- メルボルン・ビクトリー(オーストラリア)
- フィテッセ(オランダ)
- ボタフォゴ(ブラジル)
- ネフチ・バクー(アゼルバイジャン)
- FKスードゥヴァ(リトアニア)
小学生時代
本田選手は小学2年生の時に、摂津FCでサッカーを始めます。
卒業文集では「世界一のサッカー選手になる」と書き、当時から”大きな夢”を抱いて行動していました。
中学生時代
中学生時代は、ガンバ大阪ジュニアユースでプレーしています。
- 家長昭博(現・川崎フロンターレ)
- 安田理大(現・松本山雅FC)
- 東口順大(現・ガンバ大阪)
後に日本代表になる選手たちと共にプレー。
”天才”と言われた家永選手とは”全く同じ日に生まれたライバル”として切磋琢磨。
ただ、当時のポジション争いは家永選手に軍配が上がり、本田選手は左サイドバックなどでの守備的なポジションでプレー。
高校進学時には、ユースへの昇格を逃します。
星稜高校
高校時代は、石川県の星稜高校でプレーしています。
1年生からレギュラーを獲得するも一切満足せず、練習に励みます。
弱点である走力を克服のするために、”陸上部の朝練への参加”など頭を使って努力を重ね、冬の選手権ではベスト4に。
本田の入学で”上下関係”がなくなった?
1学年先輩の豊田陽平選手(現・ツエーゲン金沢)曰く、本田選手の発言がきっかけで”上下関係”がなくなったという伝説も。
名古屋グランパス
Embed from Getty Images2005年に名古屋グランパスでプレーします。
高卒1年目の開幕戦でスタメンを勝ち取り、3年間でリーグ戦90試合に出場。
Jリーグでは個人タイトルは獲得していないものの、世代別日本代表の中心選手として記憶に残るゴールも決めています。
VVVフェンロ(オランダ)
Embed from Getty Images2008年冬にVVVフェンロ(ふぇー・ふぇー・ふぇー・ふぇんろ)に移籍し、3シーズンに渡ってプレー。
移籍後にチームは2部に降格するも、本田選手はチームに残留。
10番・キャプテンとして1部復帰に貢献し、1部リーグでも強烈なミドルシュートを叩き込みました。
フェンロ時代の活躍で、”本田圭佑”の名をオランダや日本に轟かせました。
フェンロのサポーターからは、今でも愛されています。
CSKAモスクワ(ロシア)
Embed from Getty Images2010年冬に、CSKAモスクワ(ちぇすか・もすくわ)に移籍します。
W杯での活躍もあり、イタリアやスペインをはじめとする5大リーグへの移籍が噂されるなか、ロシアへの移籍に驚いたサッカーファンも多いはず。
とはいえ、チェスカはCLに出場する強豪で、ビッグクラブとも対戦。
- マンチェスター・シティ(イングランド)
- バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)
- インテル(イタリア) など
CLベスト8やリーグ優勝も経験し、ロシアでも輝かしい実績を残します。
ロシアでは人工芝での試合もあり、その影響で膝を痛めてしまったとも言われています。
ACミラン(イタリア)
Embed from Getty Images2013年冬にACミランに移籍し、3シーズンに渡ってプレーします。
バロンドール受賞暦もあるカカなど、世界トッププレーヤーが在籍するクラブで10番を背負ってプレー。
7試合で6ゴールを決めて”チェッキーノ(射撃の達人)”と称される時期もあったものの、ミランサポーターからの批判は凄まじいの一言。
チームが低迷している時期の”ビッグクラブの10番”が重くのしかかり、スケープゴートにされることも多々ありました。
・バロンドールとは
1年間における”世界で最も活躍した選手”に贈られる賞のこと。
・スケープゴートとは
チーム負けを個人の責任におしつけられること。
パチューカ(メキシコ)
Embed from Getty Images2017年夏にパチューカに加入し、1年間プレーします。
背番号「02」という珍しい番号を身につけ、”4人抜きゴール”を決めるなどインパクト溢れる活躍をしました。
クラブW杯にも出場し、3位という結果を残しています。
メルボルン・ビクトリー(オーストラリア)
Embed from Getty Images2018年にメルボルン・ビクトリーに加入し、1年間プレーします。
優勝は逃したものの、2ヶ月連続で”月間MVP”を受賞。
ACLではサンフレッチェ広島と対戦し、13年ぶりの日本凱旋試合となりました。(日本代表での帰国は除く)
フィテッセ(オランダ)
Embed from Getty Images2019年にフィテッセに移籍します。
CSKAモスクワ時代の恩師・スルツキー監督のラブコールを受けて加入。
しかし、スルツキー監督が成績不振により辞任。
その影響もあり、本田選手自身も半年でチームを退団します。
ボタフォゴ(ブラジル)
Embed from Getty Images2020年冬にボタフォゴに加入します。
W杯戦士の加入に、ボタフォゴサポーターは大歓迎。
Embed from Getty Imagesところが、新型コロナウイルスの影響でチームの経営は悪化。
給与の支払い遅れに対して「給与は受け取らない」との男気を見せるものの、監督がコロコロ変わる体制に難色を示し、チームとの関係が悪化。
シーズン中に退団する運びとなり、ブラジルでは”賛否両論”の声があがりました。
ネフチ・バクー(アゼルバイジャン)
2021年にネフチ・バクーに移籍します。
アゼルバイジャンの場所は、下の画像の中央左寄り。
Embed from Getty Images- カスピ海に面している
- 北にはロシア、南にイラン
- UEFA(欧州サッカー連盟)に加入している。
- 世界一の”親日国”と言われている
半年間の在籍でしたが、2ゴールをあげる活躍を見せ、リーグ優勝に貢献します。
FKスードゥヴァ(リトアニア)
2021年にFKスードゥヴァに移籍します。
リトアニアの位置は、下の画像の中央付近。
Embed from Getty Images- ポーランドの北に位置している
- 冬の平均気温は0℃を下回る
- 国の9割以上が農地や森林
半年間の在籍で、スードゥヴァが現役選手としての最後のクラブになっています。
ただ、本田選手の口から”現役引退”の言葉は出されていません。
日本代表
Embed from Getty Images本田選手は20歳の時に日本代表に初招集されています。
A代表98試合に出場。
W杯には3大会出場し、世代別代表としてオリンピックにも出場しています。
- 2008年北京五輪:GL敗退
- 2010年南アフリカW杯:ベスト16
- 2014年ブラジルW杯:GL敗退
- 2018年ロシアW杯:ベスト16
特に、2014年ブラジルW杯前には”俺たちのサッカー”であるパスサッカーの中心人物に。
ベルギー、オランダなどの強豪国と互角以上に渡り合い、日本国民からの期待も最高潮に。
ただ、本大会が近づくにつれてパフォーマンスが低下。
「バセドウ病を患っていたのでは?」と噂されますが、真偽は定かではありません。
それでも勝負強さを発揮し、本大会では1得点1アシストを記録。
W杯では3大会連続でゴール&アシストを記録。
まぎれもなく、世界に誇る実績の持ち主です。
まとめ
- W杯3大会連続ゴール&アシスト
- ACミランの10番
- 9カ国でプレー
こんなにも輝かしく、濃いサッカー人生を送る選手は、今後出てくるかわからないほど。
常に注目を浴び、その注目を上回るほどのアンサーを返し続けてきました。
自らを追い込むために大口を叩き、それを実現させてしまう実力。
本田圭佑さんが、長年に渡って”日本のエース”として、サッカー人気爆発の火付け役になったことは間違いありません。
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