「元・日本代表キャプテン」
8年にわたって”日本代表キャプテン”を務め、W杯には3大会連続で出場。
17シーズンを過ごしたドイツでは、リーグ制覇に加えてEL(ヨーロッパリーグ)でもタイトルを獲得。
40歳までドイツ1部でプレーし、現地でのあだ名は「カイザー(皇帝)」。
控えめに言って、「ヤバすぎる経歴」の持ち主です。
今回は、長谷部誠のプレースタイルと経歴をご紹介します。
「もっとサッカーが楽しくなる」をテーマに、ブログを書いています。
【10分以内】で、気軽に読める記事がたくさんあります。
初心者の方も、サッカー通の方も、ぜひ楽しく読んでください。
長谷部誠ってどんな選手?
- 名前:長谷部誠(はせべ まこと)
- 生年月日:1984年1月18日
- 出身地:静岡県藤枝市
- ポジション:MF/DF
- 身長:180cm
- 体重:73kg
- 利き足:右
日本代表歴
Embed from Getty Images- A代表:114試合2ゴール
- 世代別:U-19~U-20(アテネ世代)
W杯3大会に出場したキャプテン
Embed from Getty Images3大会連続でW杯に出場。
- 2010年南アフリカ
- 2014年ブラジル
- 2018年ロシア
しかも、そのすべてで”キャプテン”を務めています。
2010年南アフリカW杯の際は、大会直前に急遽キャプテンに任命。
ピッチでは攻守のバランスをとると同時に、超個性の強いメンバーをまとめ上げています。
GKをやったことも
Embed from Getty Images2011年のこと。
公式戦にて、GKが退場してしまったヴォルフスブルグ。
しかも、すでに交代枠を使い切っているという状況。
代わりにGKを務めたのは、MFとして出場していた長谷部誠選手でした。(参照:ゲキサカ)
81分から急遽守護神になり、残念ながら1失点。
ただ、パントキックやハイボール処理には高評価が集まりました。
心を整える
Embed from Getty Images2011年に発売し、ミリオンセラーとなった「心を整える」。
南アフリカW杯で日本が躍進したこともあり、「主将の本が読みたい!!」と大人気の一冊になりましたが・・・。
子供の頃、いや、プロになってからも”短気な性格”。
試合中も、練習中も、相手味方関係なくキレまくり。
そこから、”心を整える”ほどの変貌があったことを知ると、より一層、心が整うかもしれません。
青山学院大学に進学希望だった
意外なことに、もともとは大学進学を目指していた長谷部選手。
都会への憧れもあり、青山学院大学への進学を希望していたそうです。(参照:LIFE)
しかし、高校3年生の時に初めて全国大会に出場し、”プロサッカーへの想い”が急上昇。
「争奪戦」というほどではなかったようですが、オファーをくれた浦和レッズに入団しています。
Mr.Childrenの大ファン
『長谷部誠=Mr.childrenの大ファン』。
サッカーファンには超有名な話で、オフシーズンにはライブにも足を運ぶほど。
ボーカルの櫻井和寿さんも大のサッカーファンとして有名で、親交もあるのだとか。(参照:日刊スポーツ)
妻・佐藤ありさ
前段左が妻・佐藤ありささん。左は桐谷美玲さん。
長谷部選手は、2016年に結婚。
お相手は、モデル・佐藤ありさ さんです。
雑誌への掲載も多く、女性からの人気はいまでも根強いタレントです。
長谷部誠のプレースタイル
Embed from Getty Images「カイザー(皇帝)」
- 攻守のバランス感覚
- 危機察知能力
- キャプテンシー
若手時代はガンガン仕掛ける攻撃的な選手。
ドイツに渡った後、”バランス感覚”が研ぎ澄まされ、いつしか”日本代表の心臓”に。
ピンチの芽を摘み取ることはもちろん、失点のピンチには身体を張ってシュートブロック。
危機察知能力に優れており、「長谷部が止めてくれる」という安心感を与えるレベルでした。
また、”キャプテンシー”も抜群で、日本代表では8年間に渡ってキャプテンマークを巻いています。(フランクフルトでは副主将)
プレーでも声でも鼓舞する姿に、与えられたアダ名は「カイザー(皇帝)」。
長谷部誠の経歴
- 青島東サッカースポーツ少年団
- 青島中学校サッカー部
- 藤枝東高校サッカー部
- 浦和レッズ
- ヴォルフスブルグ(ドイツ)
- ニュルンベルグ(ドイツ)
- フランクフルト(ドイツ)
小学生時代
小学生時代は、青島東サッカースポーツ少年団でプレーしています。
同郷のサッカー選手からも、「地元で有名なサッカー少年だった」という評価を受けるほどの実力。(参照:大井健太郎note)
厳しい監督の元、着実に実力を磨いています。
中学生時代
中学生時代は、青島中学校サッカー部でプレーしています。
「昔はキャプテンらしい性格ではなかった」という長谷部選手ですが、キャプテンシーを発揮していたエピソードも。(参照:週間女性PRIME)
高校生時代
高校生時代は、藤枝東高校サッカー部でプレーしています。
試合に絡めるようになったのは、2年生の冬から。
そこから急成長を遂げ、高校3年時には全国大会出場やU-18日本代表候補にも選出。
- 2001年インターハイ準優勝
- 2001年国体優勝
当時は攻撃的なポジションで、武器はドリブル。
高卒でプロ入りするような有望株でしたが、世間からの注目度は成岡翔(ジュビロ磐田など)の方が数段上でした。
藤枝東高校時代のチームメイト
・成岡翔(1学年後輩)
・大井健太郎(1学年後輩) など
浦和レッズ
Embed from Getty Images2002年に浦和レッズに入団します。
代表クラスの選手が揃う中、2年目からレギュラーに定着。
毎年のようにタイトルを獲得し、2007年にはACLを制覇。
今では考えられませんが、「瞬間沸騰湯沸かし器」というアダ名がつくほどの短気っぷりでした。
高校時代と同様に攻撃的なプレーも多く、2004年の”ジュビロ戦でのVゴール”は語り草となっています。(下記動画内の1位のゴール)
浦和での成績
・2002年:0試合0ゴール(J1)
・2003年:28試合2ゴール(J1・ナビスコ杯優勝)
・2004年:27試合5ゴール(J1ベスト11)
・2005年:31試合2ゴール(J1・天皇杯優勝)
・2006年:32試合2ゴール(J1優勝・天皇杯優勝)
・2007年:31試合1ゴール(J1・ACL優勝)
浦和時代のチームメイト
・小野伸二
・岡野雅之
・田中マルクス闘莉王
・三都主アレサンドロ
・永井雄一郎
・田中達也
・エメルソン
・ワシントン
・ポンテ など
ヴォルフスブルグ
Embed from Getty Images2008年1月にヴォルフスブルグに移籍します。
移籍早々にレギュラーに定着。
08-09シーズンには”ジェコ×グラフィッチ”の最強ツートップが大爆発。
チームの勢いも落ちることなく、大久保嘉人と共にブンデスリーガ優勝を経験しています。
また、鬼軍曹・マガト監督の元では”地獄の3部練”は当たり前。
強烈なフィジカルトレーニングの甲斐もあってか、ヴォルフスブルグ在籍時には日本代表でもスタメンに定着しています。
ヴォルフスブルグでの成績
・2007-08年:16試合1ゴール(途中入団)
・2008-09年:25試合0ゴール(リーグ優勝・EL)
・2009-10年:24試合1ゴール(CL)
・2010-11年:23試合0ゴール
・2011-12年:23試合1ゴール
・2012-13年:23試合2ゴール
・2013-14年:1試合0ゴール
ヴォルフスブルグ時代のチームメイト
・大久保嘉人
・ジェコ(ボスニア・ヘルツェゴビナ代表)
・グラフィッチ(ブラジル代表)
・ベナーリオ(スイス代表)
・ベン カリファ(スイス代表[広島・福岡にも所属])
・バルザーリ(イタリア代表)
・マルティンス(ナイジェリア代表)
・マンジュキッチ(クロアチア代表) など
ニュルンベルグ
Embed from Getty Images2013年9月にニュルンベルグに移籍します。
右サイドでの起用が増え、「ボランチで勝負がしたい」という想いを持っての移籍。
しかし、シーズン中に膝を負傷して戦線離脱。
チームも、17位で2部リーグ降格という結果に終わっています。
ニュルンベルグでの成績
・2013-14年:14試合0ゴール(途中入団)
ニュルンベルグ時代のチームメイト
・清武弘嗣
・ドゥルミッチ(スイス代表)
・フォイルナー(ドイツ)
・チャンドラー(アメリカ代表)など
フランクフルト
Embed from Getty Images2014年6月にフランクフルトに移籍します。
当初は2年契約で入団するも、結果的には30~40歳までの10シーズンにわたってプレー。
2021-22年にはELで優勝し、翌年にはCLにも出場。
40歳までドイツ1部でプレーし続け、出場するたびに”MOM級”の活躍を見せました。
また、ボランチのみでなく、リベロ(DF)という新境地も開拓。
そのプレーぶりを見て、現地ファンからは「カイザー(皇帝)」と呼ばれるように。
ベテランになってからの加入でしたが、まさかの”全盛期”を迎えました。
フランクフルトでの成績
・2014-15年:33試合0ゴール
・2015-16年:32試合1ゴール
・2016-17年:22試合1ゴール
・2017-18年:24試合0ゴール
・2018-19年:28試合0ゴール(EL)
・2019-20年:23試合0ゴール(EL)
・2020-21年:29試合0ゴール
・2021-22年:18試合0ゴール(EL優勝)
・2022-23年:18試合0ゴール(CL)
・2023-24年:8試合0ゴール
フランクフルト時代のチームメイト
・鎌田大地
・チャンドラー(アメリカ代表)
・ボアテング(ガーナ代表)
・ヨヴィッチ(セルビア代表)
・コスティッチ(セルビア代表)
・ローデ(ドイツ代表)
・ゴンサロ パシエンシア(ポルトガル代表[広島にも所属])
長谷部誠のコーチ歴(指導者)
フランクフルトU-21
2024年9月にフランクフルトU-21のコーチに就任。
10年間過ごしたクラブで引退後、そのままクラブスタッフ入りしています。
日本代表コーチ
Embed from Getty Images2024年9月に日本代表コーチに就任しています。
普段はドイツで活動し、A代表ウィークは日本代表に帯同。
森保一監督の熱烈オファーを受け、実現したA代表のスタッフ入り。
コーチ初就任の会見では、マスコミからは”選手以上の注目度”を誇っていました。
まとめ
歴代の日本代表の中でも、トップクラスの実績の持ち主。
アジアの戦いはもちろん、W杯では2回もベスト16に進出。
クラブチームでも、17シーズンに渡って5大リーグでプレーしてきた選手です。
長谷部誠のA代表スタッフ入りは、まさに”最高の人選”。
選手たちに、多くの経験を伝えてくれるはずです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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