「ムードメーカー」
長年にわたって”川崎を支えたムードメーカー”。
2024年に、”地元・大阪”に移籍。
今オフ、最も驚きを与えたニュースのひとつです。
今回は、登里享平のプレースタイルと経歴をご紹介します。
「もっとサッカーが楽しくなる」をテーマに、ブログを書いています。
【10分以内】で、気軽に読める記事がたくさんあります。
初心者の方も、サッカー通の方も、ぜひ楽しく読んでください。
登里享平ってどんな選手?
- 名前:登里享平(のぼりざと きょうへい)
- 生年月日:1990年11月13日
- 出身地:大阪府大阪市
- 所属チーム:セレッソ大阪
- ポジション:DF/MF
- 背番号:6番
- 身長:168cm
- 体重:68kg
- 利き足:左足
2020年J1リーグベストイレブン
2位につけた勝ち点差は「18」。
圧倒的な強さでJリーグを制した川崎フロンターレ。
ベスト11には、川崎から9人が選出。
その内の1人が登里選手です。
川崎の”不遇の時代”を知る男
Embed from Getty Images高卒で入団し、在籍15年。
レンタル移籍の経験もなく、ずっと川崎でプレー。
”タイトルがとれなかった頃”を知る、数少ない選手です。
2024年にセレッソ大阪に移籍しています。
ムードメーカー
登里選手のシーズンは、キャンプ前から始まっています。
やべっちスタジアムの人気企画「デジっち」。
川崎の動画案を考えるのは、”登里P(プロデューサー)”。
「1番面白い動画を作ること」への熱意は、誰よりも強い選手です。
お父さんの会社のパンツ
2017年のファン感謝デーで販売された”ノボリのパンツ”。
登里選手のお父さんはパンツを製造する会社に勤めており、まさかのフロンターレとコラボ。
公式HPにも、お父さんが登場しています。
※フロンターレ公式HPはこちら。
登里享平の着用スパイク
メーカー:ミズノ
登里選手は、ミズノの”アルファ”を着用しています。
ミズノ史上、最も”軽量性”を追求したスパイク。
1歩目の蹴り出しやクッション性も兼ね備えた人工皮革のスパイクです。
登里享平のプレースタイル
Embed from Getty Images「ムードメーカー」
登里選手のポジションは左SB(サイドバック)。
特徴的なプレーは、試合中何度も仕掛ける”オーバーラップ”。
タイミング・ポジショニングが絶妙で、サイドを打開。
ピッチ内外共に”明るく・元気”。
”喋り”でも、”背中”でも、チームを明るくする選手です。
登里享平の経歴
- クサカSC
- EXE’90FC ジュニア
- EXE’90FC
- 香川西高校サッカー部
- 川崎フロンターレ
- セレッソ大阪
小学生時代
小学生時代はクサカFCでプレーしています。
ボールを蹴り始めたのは幼稚園の頃。
小学5年生まではクサカFCでプレーし、6年生の時に隣町の強豪・EXE’90FCジュニアに移籍。
大阪府選抜でもプレーしています。(参照:Jsports)
大阪府選抜でのチームメイト
・大塚翔平
・中村充孝 など
中学生時代
中学生時代はEXE’90でプレーしています。
- 1・2年:ゲーセンに夢中(ラウンドワン)
- 3年生:サッカーに本腰
練習には行っていたものの、選抜に入れなかった”現実逃避”をしてしまった時期。(参照:Jsports)
3年時には、帝京高校のセレクションに合格。
しかし、大学生の兄が2人いる”家庭の金銭事情”を自ら考慮し、進学はせず。
EXE’90のコーチの出身校である、香川西高校へと進学します。
EXE’90FC出身の選手
・藤春廣輝(兄の同級生)
・櫻内渚 など
高校生時代
高校生時代は香川西高校サッカー部でプレーしています。
入学前の春休みからレギュラーに定着。
ボランチから左サイドにコンバート。
選手権では、3年連続で全国大会に出場しています。(参照:川崎フロンターレ公式HP)
川崎フロンターレ
Embed from Getty Images2009年に川崎フロンターレに入団します。
10代でJリーグデビュー。
そして、気づけば在籍15年目で、チームNo.1の古株。
※安藤駿介選手も同期で、1年間他クラブに在籍。
ピッチでは左サイドを駆け上がり、ピッチ外では喋りで魅せるムードメーカーです。
川崎での成績
・2009年:2試合1ゴール
・2010年:9試合0ゴール
・2011年:19試合2ゴール
・2012年:16試合2ゴール
・2013年:29試合0ゴール
・2014年:19試合1ゴール
・2015年:1試合0ゴール
・2016年:14試合0ゴール
・2017年:23試合1ゴール(Jリーグ優勝)
・2018年:25試合0ゴール(Jリーグ優勝)
・2019年:27試合0ゴール(ルヴァン杯優勝)
・2020年:29試合0ゴール(Jリーグ、天皇杯優勝、ベスト11)
・2021年:29試合0ゴール(Jリーグ優勝)
・2022年:12試合0ゴール
・2023年:26試合2ゴール
セレッソ大阪
2024年にセレッソ大阪に移籍します。
「川崎一筋」と思われていた選手が、新たな挑戦を決断しました。
まとめ
「川崎フロンターレといえば誰?」
この質問の答えは、きっとバラけるでしょう。
数多くの選手が”日本代表”としてプレーし、W杯の舞台に立った選手も。
そんな選手たちが”気持ちよくプレーできた”のは、「登里享平」という選手の存在があったからかもしれません。
コメント