「再ブレイクした大型ボランチ」
ロンドン五輪で大活躍。
2013年には、”22歳”という若さでA代表入り。
J1で15年以上プレーする偉大な選手ですが、近年は”扇原貴宏”という名前を耳にすることが減っていたように感じます。
しかし、2024年に神戸で再ブレイク。
引退もちらつき始める33歳という年齢で、”Jリーグ2冠”を引き寄せた大型ボランチです。
今回は、扇原貴宏のプレースタイルと経歴をご紹介します。
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【10分以内】で、気軽に読める記事がたくさんあります。
初心者の方も、サッカー通の方も、ぜひ楽しく読んでください。
扇原貴宏ってどんな選手?
- 名前:扇原貴宏(おうぎはら たかひろ)
- 生年月日:1991年10月5日
- 出身地:大阪府堺市
- 所属チーム:ヴィッセル神戸
- ポジション:MF/DF
- 背番号:6番
- 身長:185cm
- 体重:74kg
- 利き足:左
日本代表歴
Embed from Getty Images- A代表:1試合出場(2013年)
- 世代別:U-16~U-23日本代表(ロンドン世代)
2012年ロンドン五輪日本代表
Embed from Getty Images2012年に行われたロンドン五輪。
開幕戦で優勝候補・スペインを破り、台風の目になったU-23日本代表。
その時の中盤を支えていたのが扇原選手です。
5試合にスタメン出場し、ベスト4進出に貢献しています。(出番がなかったのはGL最終戦のみ)
セレ女の火付け役
「セレ女=セレッソファンの女子」
セレッソファンの女子が急増したのは、”扇原貴宏のルックス”の影響もあるでしょう。
特に人気があったのは上記の選手たち。
女性ファンの多さは、Jリーグの中でも群を抜いて多かったです!
性格の良さはJリーグNo.1!?
Embed from Getty Images以下に掲載している、”武藤嘉紀選手の密着動画”にて語られたこと。
「タカの性格の良さ、JリーグでもNo.1じゃない!?」
動画の”33分48秒〜”を、ぜひ見てください!
扇原貴宏の着用スパイク
メーカー:アディダス
扇原選手の着用スパイクは、”プレデター”シリーズ。
足先にラバーがついており、高精度なキックや柔らかいトラップをより向上させます。
扇原貴宏のプレースタイル
Embed from Getty Images「攻守に働く司令塔」
- 視野の広さ
- 左足のキック精度
- ユーティリティ性の高さ
”シャビ(スペイン)”を理想とする司令塔。(参照:Number)
逆サイドの選手の動きも見逃さない”視野の広さ”を生かし、ピッチを広く使える選手。
”左足のキック精度”は抜群で、セットプレーからも多くのチャンスを生み出します。
近年は”球際での強さ”も増し、ピンチの芽を摘み取るシーンも多々。
攻守の要として、中盤を制圧します。
扇原貴宏の経歴
- 堺北FC
- セレッソ大阪U-15
- セレッソ大阪U-18
- セレッソ大阪
- 名古屋グランパス
- 横浜Fマリノス
- ヴィッセル神戸
小学生時代
小学生時代は、堺北FCでプレーしています。
当時のポジションはFW。(参照:UDNスポーツ)
クラブチームでプレーする傍ら、小学3年生からはセレッソ大阪のスクールにも通っていました。
中学・高校生時代
中学・高校生時代は、セレッソ大阪の下部組織でプレーしています。
高校3年生になるとキャプテンに就任。
クラブユース決勝戦では、FC東京U-18を1-0で勝利。
自身初の日本一に輝いています。
ちなみに、この時の対戦相手には”武藤嘉紀(当時高2)”の名前も。
C大阪ユース時代のチームメイト
・山口蛍(1学年先輩)
・丸橋祐介(1学年先輩)
・一森純(同期)
・永井龍(同期)
・杉本健勇(1学年後輩)
セレッソ大阪
Embed from Getty Images2010年にセレッソ大阪に入団します。
ロンドン五輪を目指す”U-23日本代表”への招集をキッカケに、クラブでの出場機会も増加。
2013年には柿谷・山口蛍両選手と共に、セレッソ大阪アカデミー史上初の日本代表選手に。(参照:C大阪公式HP)
J1リーグでは優勝争いを演じるなど、順調な成長曲線を見せますが・・・。
”4位(2013年)→17位(2014年)”という転落により、まさかのJ2降格。
おまけに、”1年でのJ1復帰”を逃し、その翌年には出場機会も失うことに。
C大阪での成績
・2010年:0試合0ゴール(J1)
・2011年:10試合4ゴール(J1)
・2012年:29試合2ゴール(J1)
・2013年:32試合2ゴール(J1)
・2014年:31試合0ゴール(J1)
・2015年:33試合2ゴール(J1)
・2016年:4試合0ゴール(J1[途中退団])
C大阪時代のチームメイト
・柿谷曜一朗
・清武弘嗣
・山口蛍
・丸橋祐介
・杉本健勇
・南野拓実
・フォルラン
・カカウ など
名古屋グランパス
2016年に名古屋グランパスに移籍します。
低迷するクラブを救うべく、”J2→J1へのレンタル”で加入。
しかし、ケガにも泣かされ、公式戦3試合の出場にとどまりました。(うち、天皇杯1試合)
また、クラブ史上初のJ2降格という結果に。
名古屋での成績
・2016年:2試合0ゴール(J1[途中加入])
名古屋時代のチームメイト
・楢崎正剛
・田中マルクス トゥーリオ
・明神智和
・矢野貴章
・田口泰志
・永井謙佑
・和泉竜司
・小屋松知哉
・シモビッチ など
横浜Fマリノス
Embed from Getty Images2017年に横浜Fマリノスに移籍します。
ポステコグルー監督が目指す”ポゼッションサッカー”との相性は抜群。
5年間の在籍のうち、その大半をレギュラーとしてプレー。
2019年にはJリーグ優勝を掴み取っています。
Embed from Getty Images横浜FMでの成績
・2017年:26試合1ゴール(J1)
・2018年:30試合1ゴール(J1)
・2019年:25試合1ゴール(J1優勝)
・2020年:31試合0ゴール(J1)
・2021年:32試合0ゴール(J1)
横浜FM時代のチームメイト
・中澤佑二
・栗原勇蔵
・齋藤学
・大津祐樹
・仲川輝人
・久保建英
・喜田拓也
・三好康児
・エリキ
・マルコス ジュニオール
・チアゴ マルチンス など
ヴィッセル神戸
Embed from Getty Images2022年にヴィッセル神戸に移籍します。
「個人で局面を打開」が当たり前のクラブで、移籍後の2年間は大苦戦。(参照:Number web)
ベンチを温める日も多く、2022・2023年ともにスタメン出場数は一桁。
クラブがタイトルを獲得する中、苦しい時を過ごしていたでしょう。
2024年に状況が一変し、不動のスタメンに。
”アンカー”として攻守に躍動し、Jリーグ2連覇に大きく貢献しています。
神戸での成績
・2022年:12試合0ゴール(J1)
・2023年:11試合0ゴール(J1優勝)
・2024年:35試合1ゴール(J1・天皇杯優勝)
まとめ
学生時代にどれだけ大きな功績を残しても、プロで活躍できるのは一握り。
そんな中、「10年以上J1でプレーし続けている」ということは、本当に偉大なことです。
そう考えれば、
- 2012年リオ五輪出場
- A代表経験あり
- J1で15年以上プレー
上記の実績を持つ”扇原貴宏”という選手は、間違いなく”大成功”です。
31歳・32歳と出場機会は少なく、”下部リーグへの移籍”も頭をよぎったはず。
そこから、「33歳でJ1優勝クラブのスタメン」に。
なんてカッコいい選手なんだ!!
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