戦力外通告を受けた後、自身で会社を立ち上げ、ビジネスで大成功をおさめている元サッカー選手がいるのをご存じですか?
プロのアスリートは多くの人々にとっての憧れの存在です。
プロになるには想像を絶する程の練習と、過酷な競争を勝ち抜く必要があります。
晴れてプロになっても競争は更に激しく、若くして引退を余儀なくされる選手も数多くいます。
遊ぶ時間や勉強する時間を犠牲にしてスポーツに打ち込んできた。
その結果、学歴や就業経験がないとみなされてしまう。
スポーツ選手のセカンドキャリアは長年にわたって問題視されています。
そんな中、サッカー選手を引退した後、起業家として成功を勝ち取った人たちもいます。
今回は、戦力外から社長へと上り詰めた6人の元プロサッカー選手をご紹介します。
今回は、プロ入り後数年で戦力外通告を受けてしまった選手限定での記事になります。
引退後に、Jクラブを経営している元サッカー選手も大勢います。
詳しくは、Jクラブを運営する元Jリーガーを読んでください。
戦力外から社長になった元プロサッカー選手たち
Embed from Getty Images「起業したい」
そんな想いを抱いている人は少なくはないでしょう。
ただ、そこにかかる費用や時間といったリスクを考えると、歩みを進めることは容易ではありません。
サッカーで大成できなかった悔しさをバネに大きな決断を下し、成功を勝ち取った6人のビジネスマンの経歴や行っている事業について触れていきます。
嵜本晋輔
現役時の所属クラブ
- ガンバ大阪
- 佐川大阪SC
ガンバ大阪で3年間プレーするも、出場はわずか2試合。
その後、当時JFLの佐川急便大阪SCで1年間プレーしています。
引退後のセカンドキャリア
Embed from Getty Imagesブランド品買取専門店「なんぼや」を開店し、事業拡大のために株式会社SOU(現・バリュエンスホールディングス)を設立。
2018年にマザーズに上場し、元Jリーガー社長として初の上場企業の社長になりました。
2017年からはガンバ大阪のスポンサーとしての活動もしており、2022年現在も続いています。
嵜本さんは、2021年から関東1部リーグの南葛SCの取締役に就任しました。
南葛SCには稲本選手や今野選手といった元Jリーガーが多数在籍しています。
薮崎真哉
現役時の所属クラブ
- 柏レイソル
1997年に柏レイソルに入団。
同期入団の北嶋秀朗さんや大野敏隆さんが活躍する中、6年間の在籍で1試合の出場にとどまる。
薮崎さんは、「プロサッカー選手として努力不足だった」と過去の自分を評価しています。
引退後のセカンドキャリア
Embed from Getty Imagesレストランやコンサル営業を経験した後、株式会社ジールコミュニケーションズを設立。
現在150名の社員が在籍し、WEBリスクコンサルや採用支援など複数の事業に取り組んでいます。
また、2016年には柏レイソルのスポンサーになり、ユニフォーム背面に会社名を掲載していた時期もあります。
スポンサー就任の際はゴール裏に出向き、約15年ぶりに柏レイソルサポーターとの再会を果たしました。
星野崇史
現役時の所属クラブ
- ザスパ草津U-23
- ジェフユナイテッド市原千葉リザーブス
浦和レッズユース、流通経済大学でプレーした後にプロ入り。
大学時代、千葉時代の3年にわたってJFLでプレーしています。
引退後のセカンドキャリア
Embed from Getty Images引退後は複数年にわたって、薮崎さんのジールで営業職として働いています。
その後、独立し、スポーツ経験者の就職支援をする株式会社maenomeryを設立。
”前のめり”に仕事をする姿勢から、maenomeryという会社名になったそうです。
現在は社長業と並行し、ジールの取締役を務めています。
先崎勝也
現役時の所属クラブ
- ヴァンラーレ八戸
- FC町田ゼルビア
- FC琉球
- FC KAGOSHIMA
- 鹿児島ユナイテッド
- 日立ビルシステムサッカー部
6年間プロとしてサッカー生活を送り、J2やJFLでもプレー。
2012年には町田ゼルビアに所属し、元日本代表で現在は解説者を務める戸田和幸さんともプレーしています。
引退後のセカンドキャリア
Embed from Getty Images株式会社F&Vを設立しています。
・プロキャリア:「nowtis 」というアプリで、フィジカルデータを客観視。
・セカンドキャリア:引退後のキャリア支援。
現役中から引退後まで、アスリートの生活をサポートする会社です。
「nowtis」は、スカウト活動にも役立つシステムです。
(引用:株式会社F&VのHPより)
高橋竜太
現役時の所属クラブ
- アルテ高崎
岐阜県中京高校に特待生として入学し、32年ぶりの全国大会に出場。
高卒でJFLでプレーし、わずか3年間、21歳で戦力外通告を受けました。
引退後のセカンドキャリア
Embed from Getty Images赤坂で飲食店を出店して以降、現在では92店舗を運営。
S.H.N株式会社を設立し、飲食・不動産・広告・卸売の4事業を展開しています。
2021年には出店支援サービス”出店の神様”をリリースしました。
丸山龍也
現役時の所属クラブ
- アンソメット岩手・八幡山
- ラインメール青森FC
- ニューヤングスFC(スリランカ)
- FKタウラス・タウラゲ(リトアニア)
高校は定時制の学校に通い、社会人リーグでプレー。
現在JFLのラインメール青森でのプレーした後、3年間は海外でプロサッカー生活を送りました。
引退後のセカンドキャリア
Embed from Getty Images引退後25歳でワンディエゴ丸株式会社を設立。
現在は株式会社マウントゼロに社名変更し、Jリーグ57クラブのご当地漫画の制作を目標に活動しています。
Jリーグのロゴマークの使用許可を、自身で問い合わせて獲得したという行動力の持ち主です。
まとめ
憧れのプロサッカー選手になっても、大半の選手は思い描いたキャリアを築けずに引退を迎えます。
サッカーに人生を捧げてきたが故に、戦力外通告を機に腐ってしまうこともあるのではないでしょうか。
そんな中、悔しさをバネに、ビジネスで大成功した6人の社長たち。
セカンドキャリアというと難しいイメージがありますが、彼らの活躍によって明るい方向に向かっています。
アスリートのセカンドキャリアが、輝かしいものになりますように。
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