『JFA会長・宮本恒靖』
2024年にJFAの会長に就任した宮本恒靖氏。
新たに日本サッカー界のトップについた男の現役時代は、日本代表のDF。
キャプテンマークを腕に巻き、W杯には2回出場。
さらに同志社大学、FIFAの大学院を卒業しており、語学も堪能。
「元祖・サッカー×インテリ」です。
今回は、宮本恒靖についてご紹介します。
「もっとサッカーが楽しくなる」をテーマに、ブログを書いています。
【10分以内】で、気軽に読める記事がたくさんあります。
初心者の方も、サッカー通の方も、ぜひ楽しく読んでください。
宮本恒靖ってどんな人?
Embed from Getty Images- 名前:宮本恒靖(みやもと つねやす)
- 生年月日:1977年2月7日
- 出身地:大阪府富田林市
- ポジション:DF
- 身長:176cm
- 体重:72kg
- 利き足:右
日本代表歴
Embed from Getty Images71試合3ゴール
日本代表のキャプテンを務め、W杯や五輪への出場歴もあり。
アマチュア時代から世界大会を経験している、”黄金世代”の1人です。
主な出場歴
[A代表]
・2002年日韓W杯
・2004年アジア杯(優勝)
・2006年ドイツW杯
[世代別]
・1993年:U-17世界選手権
・1997年:U-20W杯
・2000年:シドニー五輪
JFA会長
2024年3月に、第15代目JFA会長に就任。
戦後最年少となる47歳で、日本サッカー界のトップに立つことになりました。(参照:NHK WEB)
現役時代は、U-17〜A代表にかけてキャプテンを経験。
ヨーロッパでのプレー歴や監督歴もあり、さらには語学も堪能。
まさに、”日本サッカーのトップ”にうってつけの人物です。
元祖・インテリ選手
Embed from Getty Imagesプロ入りと同時に、同志社大学経済学部に進学。
現役引退後は、FIFAマスター(FIFAの大学院)に入学し、日本の元プロ選手で初めての卒業生に。(参照:スポーツキャリアサポートコンソーシアム)
その頭の良さ・学習意欲の高さは、クレーバーなプレースタイルにもよく表れていました。
ニックネームは”ツネ様”。
バットマン
Embed from Getty Images2002年日韓W杯の直前に、鼻骨を骨折。
本大会では、黒のフェイスガードを着用して試合に出場しました。
その姿は、まるでバットマン。(参照:Sportiva)
日本のみならず、世界中で日本のバットマンは有名になりました。
元々は白のフェイスガード。
「弱そう」という理由で、自身で黒に塗っています。
英語力でPKのサイドを変更
2004年アジア杯準々決勝ヨルダン戦。
いまでも”伝説のPK戦”と語り継がれる試合です。
「PKスポットの芝がめくれあがる」。
日本代表の1番・2番は、左利きの選手。
軸足(右足)を置くと、その反動でボールが浮かび上がる状態。
2人連続で芝がめくれあがり、シュートはゴールの外へ。
そのタイミングで、宮本氏は主審に進言。
「not fair(公平じゃない)」
英語で交渉を続け、異例のPKサイドを変更。(反対側のゴールに変更)
その後、GK川口能活氏が神がかったPKストップを見せ、2点ビハインドからの逆転勝利。
まさに”奇跡”としか言いようのない勝利で、その勢いのままアジア杯優勝。
この奇跡は、”宮本恒靖の英語での交渉”によって生まれました。
ちなみに、宮本氏のお母さんは中学校の英語の先生でした。
宮本恒靖の現役時代
- 伏山台FC
- 金剛中学校サッカー部
- ガンバ大阪ユース
- ガンバ大阪
- ザルツブルグ(オーストリア)
- ヴィッセル神戸
幼少期はプロ野球選手に憧れ、小学4年生からサッカーに転向。
FWとしてプレーし、DFになったのは高校生からです。(参照:スポーツ報知)
ガンバ大阪
Embed from Getty Images1995年にガンバ大阪に入団します。
2シーズン(2000年、2004年)に渡ってキャプテンを務め、2005年にはJリーグ初優勝にも貢献。
恵まれた体格を持つわけではありませんが、クレバーな守備は日本No.1 。
読みの鋭さとDF陣の統率を武器に、超攻撃的なサッカーのCB(センターバック)を後方から支えました。
G大阪時代の成績
・1995年:11試合0ゴール
・1996年:13試合0ゴール
・1997年:26試合1ゴール
・1998年:32試合0ゴール
・1999年:30試合0ゴール
・2000年:29試合0ゴール
・2001年:24試合0ゴール
・2002年:20試合1ゴール
・2003年:26試合1ゴール
・2004年:24試合0ゴール(ベスト11)
・2005年:30試合1ゴール(J1優勝)
・2006年:30試合1ゴール
ザルツブルグ(オーストリア)
2006年12月にザルツブルグに移籍します。
前年にレッドブルが資本を取得し、クラブは大変革。
”三都主アレサンドロ選手”と同じタイミングで新加入しています。
トラパットーニ監督(元・イタリア代表監督)の指揮の元、2006-07シーズンにクラブは10年ぶりのリーグ優勝。
充実の時を過ごした後に、負傷にも苦しんだヨーロッパ生活。(参照:Number Web)
2年半プレーしたのちに、Jリーグに復帰します。
ザルツブルグ時代の成績
・2006-07年:9試合0ゴール(リーグ優勝)
・2007-08年:12試合0ゴール
・2008-09年:0試合0ゴール
ザルツブルグでプレー経験のある選手
・ニーノブーレ(元 ガンバ大阪)
・マネ(セネガル代表)
・ウパメカノ(フランス代表)
・ハーランド(オーストリア代表)
・三都主アレサンドロ
・南野拓実
・奥川雅也 など
ヴィッセル神戸
Embed from Getty Images※2012年に行われた引退試合の写真。
2009年1月にヴィッセル神戸に移籍します。
神戸時代唯一のゴールは、”胸トラップからのオーバーヘッド”。
意外すぎるアクロバティックなゴールは、長年のサッカーファンを驚愕させました。
神戸時代の成績
・2009年:32試合1ゴール
・2010年:6試合0ゴール
・2011年:4試合0ゴール
宮本恒靖の指導者歴
Embed from Getty Images- FIFAマスター(大学院)修了
- サッカー解説者
- サッカー雑誌の特別編集長
- Jリーグ特任理事
引退後は様々な活動に取り組み、2015年にガンバ大阪のスタッフ入り。
ユースやU-23の指導をした後、2018年7月にトップチームの監督に就任しています。
指揮をとったのは、2018年7月〜2021年5月の約3年間。
2020年にはリーグ2位に導いています。
サッカー協会入り
Embed from Getty Images2022年3月にJFA(日本サッカー協会)入り。
理事、専務理事を経て、2024年3月に会長に就任。
また、2024年中にはJリーグ理事に就くという報道も出ています。
まとめ
確実に進歩を続ける日本サッカー。
強豪国へと歩みを進める中、”宮本恒靖のJFA会長就任”はとても期待できる人選だと感じます。
- 元・日本代表キャプテン
- Jリーグで10年以上プレー
- ヨーロッパでのプレー経験あり
- 監督歴あり
それぞれの立場を考慮し、”より良い日本サッカー界”を作ってもらいましょう。
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