「攻守に走るダイナモ」
口数は少なく、”仕事人”といった雰囲気。
攻守に走り回る”山口蛍選手”は、縁の下の力持ちとしてチームを支えます。
W杯には2回出場。
キャリアの大半を日本で過ごしており、「Jリーグでも成長できる」ことを体現し続けています。
今回は、山口蛍のプレースタイルと経歴をご紹介します。
「もっとサッカーが楽しくなる」をテーマに、ブログを書いています。
【10分以内】で、気軽に読める記事がたくさんあります。
初心者の方も、サッカー通の方も、ぜひ楽しく読んでください。
山口蛍について
- 名前:山口蛍(やまぐち ほたる)
- 生年月日:1990年10月6日
- 出身地:三重県名張市
- 所属クラブ:V・ファーレン長崎
- ポジション:MF
- 背番号:未定
- 身長:173cm
- 体重:72kg
- 利き足:右
本名は山口螢
山口選手の本名は、「山口螢」。
「どんな暗闇でも明るい光を放ち続けられるように」という願いを込めて、”螢”という名前が付けられました。(参照:毎日新聞)
プロ入りから数年間は本名での登録でしたが、2014年にサッカー協会に登録する”名前の漢字”を変更。
「山口螢→山口蛍」(参照:サッカーキング)
ちなみに、変更の理由は明らかにされていません。
男手1つで育てた父親
山口蛍、父が率い自身もプレーした地元クラブを訪問。決戦を前に夢を抱いた“原点”で感じたW杯に懸ける思いhttps://t.co/XS9T7HUkba
— サッカーキング (@SoccerKingJP) June 7, 2017
小学生時代に在籍した箕輪ウエストサッカークラブの練習場を訪問。のどかな風景が広がる三重県名張市に編集部も同行しました。 pic.twitter.com/oUCW1cTt1f
山口選手のお父さんはサッカーのコーチ。
サッカーの指導を受けたのはもちろん、面倒を見てくれたのもお父さん。
子供と一緒に過ごす時間を増やすために、仕事を退職。
アルバイトを掛け持ちしつつ、2人の息子を育てました。(参照:スポニチ)
日本代表歴
Embed from Getty Images山口選手は、17歳から世代別日本代表としてプレー。
日本代表には、23歳で初選出されています。(2013年)
最も印象深いのは、2016年10月6日・アジア最終予選vsイラク。
自身の誕生日に迎えた大一番で、山口選手は”後半ロスタイムに勝ち越しゴール”。
あのゴールがなければ、日本代表は「ロシアW杯出場を逃していたかも」しれません。
背番号96(クロ)
2024年から、”96番”に変更。
由来は、飼い犬の”クロ”からとったもの。
愛犬のナンバーを背負い、ピッチを走り回ります。
山口蛍の着用スパイク
Embed from Getty Imagesメーカー:ナイキ
山口選手は、ナイキの”ファントム”を着用しています。
ファントムシリーズは、ボールタッチに定評があるシューズ。
シューズの表面に加工を施し、”パス・トラップ・シュート”の精度を高める人工皮革のスパイクです。
※フットサル用や、お子様向けのシリーズもあります。
山口蛍のプレースタイル
Embed from Getty Images「守備職人」
山口蛍の最大の特徴は”守備能力”。
相手の足からボールが離れた瞬間を見逃しません。
読みの鋭さ・守備範囲の広さを生かし、気づけばボールを奪い、マイボールに。
- 守備範囲の広さ
- 豪快なミドルシュート
- 攻守に走り回るスタミナ
また、高校時代は「10番・トップ下」を務めていた山口選手。
攻撃センスも高く、時折見せる”豪快なミドルシュート”は、チームの窮地を救います。
そして、「どこにでもいる」と思うほど縦横無尽に走り回れるスタミナ。
1試合における”走行距離ランキング”の上位の常連です。
山口蛍の経歴
- 箕曲ウエストSC(名張市立錦生小学校)
- セレッソ大阪U-15(名張市立赤目中学校)
- セレッソ大阪U-18(清明学院高校)
- セレッソ大阪
- ハノーファー(ドイツ)
- セレッソ大阪
- ヴィッセル神戸
- V・ファーレン長崎
小学生時代
小学生時代は、箕曲ウエストFCでプレーしています。
サッカーを始めたのは、小学3年生の時。
社会人チームでプレーしていた父親の影響でサッカーを始め、父がコーチを務めるチームに加入します。(参照:UDN SPORT)
中学進学前には、Jユース3クラブのセレクションに参加。
- セレッソ大阪
- ガンバ大阪
- 京都サンガF.C.
即日”合格”に加え、”特待生”の枠を用意してくれた「セレッソ大阪」への加入を選択します。
中学・高校生時代
中学・高校生時代は、セレッソ大阪のアカデミーでプレーしています。
- セレッソ大阪U-15
- セレッソ大阪U-18
中学時代は、三重県から”片道2時間”をかけて練習に通う毎日。
現在は”守備”が特徴の山口選手ですが、高校3年時は「10番・キャプテン・トップ下」として活躍していました。
セレッソ大阪
Embed from Getty Images2009年にセレッソ大阪に昇格します。
頭角を表したのは、プロ3年目となる2011年。
- 2011年:主力に定着
- 2012年:ロンドン五輪出場
- 2013年:日本代表初選出
- 2014年:ブラジルW杯出場
毎年のようにステップアップし、”日本を代表する選手”に上り詰めます。
セレッソ大阪での成績
・2009:3試合0ゴール(J2)
・2010:2試合0ゴール
・2011:17試合1ゴール
・2012:30試合2ゴール
・2013:34試合6ゴール(Jリーグベストイレブン)
・2014:19試合1ゴール
・2015:35試合1ゴール(J2)
ハノーファー(ドイツ)
Embed from Getty Images2015年12月にハノーファーに移籍します。
清武弘嗣選手、酒井宏樹選手も在籍するチームで、「山口のドイツでの活躍」を確信していた人も多いはず。
しかし、ドイツ挑戦は”わずか半年”で幕を閉じます。
日本代表選手の早々の日本帰還には、”様々な意見”も飛び交う事態に。(参照:FOOT BALL CHANNEL)
ハノーファーでの成績
・2015-16:6試合0ゴール
セレッソ大阪(復帰)
Embed from Getty Images2016年6月にセレッソ大阪に復帰します。
J1復帰の立役者になり、翌年は”10番”を背負い、2冠を達成。
「引退までセレッソでプレーするだろう」と誰もが思う中、2018年シーズン終了後に”まさかの移籍”。
大物の移籍であると同時に、ドイツからの復帰時には「生涯セレッソ宣言」をしていたこともあり、大きな話題になりました。(参照:サンスポ)
セレッソ大阪(2度目)での成績
・2016:20試合1ゴール(J2[途中加入])
・2017:32試合2ゴール(ベストイレブン、ルヴァン杯・天皇杯優勝)
・2018:33試合0ゴール
ヴィッセル神戸
Embed from Getty Images2019年にヴィッセル神戸に移籍します。
「移籍金2億・年棒1億超(推定)」で、”大型補強”を進めるチームに加入。
ビッグネームが揃う中、中盤の底で攻守に奮闘。
在籍6年間で、Jリーグ2連覇を含む”4つのタイトル”を獲得しています。
ヴィッセル神戸での成績
・2019:34試合3ゴール(天皇杯優勝)
・2020:34試合6ゴール(ACL ベスト4)
・2021:32試合5ゴール
・2022:33試合2ゴール(ACL ベスト8)
・2023:32試合4ゴール(Jリーグ優勝)
・2024:27試合3ゴール(Jリーグ・天皇杯優勝)
V・ファーレン長崎
2025年にV・ファーレン長崎に移籍します。
2025年移籍市場において、「最大のサプライズ」の1つ。
新スタジアムも完成し、”J1復帰”への準備は万端です。
山口蛍の試合を観る方法
山口選手がプレーする”Jリーグ”には、3つの大きな大会(リーグ戦)があります。
- Jリーグ
- ルヴァンカップ
- 天皇杯
各大会の放送チャンネルは、以下の通りです。
まとめ
「黒子役なのに、目立ってしまう」。
それこそが、”山口蛍の凄さ”です。
プロ入り時に思い描いた姿は、”華麗なプレーで得点に絡む選手”だったかもしれません。
プロで生き残るためにプレースタイルを変更。
守備を突き詰め、”相手のチャンスの芽を潰しまくる”。
数年後には、「プロで生き残る」どころか、「W杯日本代表」にまで辿り着きました。
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